「まずは学校がテストのあり方、子供たちへの評価のあり方をもっと柔軟に広げ、多様性や個性、創造性を伸ばす環境でなければ、子供も教師もクリエイティブにはなり得ないだろうと考える」


学部4年生向けのある授業で、下の動画資料を使って学校教育と創造性について討議しました。

敎育に関するKen Robinsonの動画


たまたま私が今朝読んだThe Guardian / The Observerの記事も、権力化したテストの弊害について報告しています。


Must do better? Why parents plan boycott of school Sats tests


この記事でも紹介されているMore Than A Scoreのホームページは下です。


More Than A Score


テストに振り回される学校教育が子どもの創造性を潰しているかもしれないという可能性について学校教育関係者はもっと真剣に考え、行動するべきかと思います。

下の文章は受講したある学生さんの感想です。





*****

 前回の授業でKen Robinsonの動画を見て、教育について根本的に考えさせられる動画であったため、家で動画をもう一度見返し、更に彼のもう一つのビデオ“How to escape education’s death valley”を視聴した。

 Ken Robinsonが話す一言一言や例が自分が受けてきた一部の教育が公に暴かれているような気がして、時に心が痛かったが、本当に核心をついていると感じた。“How to escape education’s death valley”の中の言葉を借りて言うとしたら、”education is based on not diversity but conformity.”という状況はまさに今の学校教育で起こってしまっていることなのではないか。あくまで個人の到達点や何ができないかを確かめるものであるはずのテストが、いまやある人の能力を狭い基準で評価することに必死になりすぎて子供たちの創造性や個性の多様性を奪うことさえある。

 私自身も、ある時期、画一化された狭い評価基準・テストによって価値観を洗脳されかけた一人なような気がする。実は、小学校5年生頃から学校の中にある“評価”や“通知表”という存在の大きさに気づき始め、恥ずかしい話だが、通知表に書かれている評価基準を熟読し、その項目に合わせて教科の勉強をするようになってしまった。狭い評価基準に合わせて勉強するから成績は効率よく上がるし、通知表の数値にこだわる父がそれを見て喜んでくれるのが嬉しかった。

 成績評価という存在に過敏に反応し始めたきっかけが完全に父にあるとは言えないが、私の父は彼自身が受けて来た(昭和の受験戦争真っ只中の)学校教育、人生経験の影響を強く受けてきたせいか、私の学校の成績、とりわけ受験科目のテストの点数やクラス順位、通知表で一喜一憂する人であった。もちろん父にも色々な側面があり、私が興味を示したことは何でもやらせてきてくれた人なので感謝もしている。

 しかし、よくよく考えると、父も学校の狭い評価教育によって創造性と個性の大切さを忘れてしまった一人なのではないか。当時は私の成績表を見て喜ぶ父の顔を見てほんの一瞬だけ安心と喜びを感じていた。しかし、私はそれ以外ではテストや通知表の数字に支配されているがあまりに、本来の学ぶことの面白さや自分自身の興味や好奇心が奪われているような気がしてならなかった。本当は成績表には載らないあの側面が気になるのに、別の特技があるのに、学校からのテスト評価と親からの評価を気にしてばかりで好奇心が充分に発揮できないこともあった。いつも完璧でなければならないことの圧力に負けて、失敗から学ぶということも忘れていた。

 しかし、幸い私は生来退屈だと感じることは長く続かない気性で、通知表の評価基準を見てそれに合わせて勉強するといった全く楽しいと感じられなかった勉強方法はいつの日か止めていた。ただ、今このように親子代々学校教育のテストと評価に影響された身として振り返ると、テスト・評価というのは使い道を間違えると本当に恐ろしいものに変わりうると感じている。

上記のような経験があったからか、Ken Robinsonの言葉は本当に説得力がある。


And part of the problem is, I think, that the dominant culture of education has come to focus on not teaching and learning, but testing. Now, testing is important. Standardized tests have a place. But they should not be the dominant culture of education. They should be diagnostic. They should help.


もし私が小学校時代に戻れるのならば、テストや評価は彼が言うようなものであってほしいと思う。

 Ken Robinsonのスピーチの中には他にもたくさん共感するところや学ぶところがあったが、現実的に考えると、まずは学校がテストのあり方、子供たちへの評価のあり方をもっと柔軟に広げ、多様性や個性、創造性を伸ばす環境でなければ、子供も教師もクリエイティブにはなり得ないだろうと考える。

次回の授業では、クラスのメンバーは現在の学校のテストや評価のあり方に関してどのようなことを考えているのか耳を傾けてみたい。

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