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アメリカの交換留学の感想(ネバダ大学リノ校に行った修士課程1年生のA君の振り返り)

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以下は、広大の留学プログラムを利用して、アメリカのネバダ大学リノ校に留学したA君の振り返りです。「自分のための分析になりますから」と言ってまとめてくれたA君に心から感謝します。A君、忙しい中、ありがとう。

留学を考えている皆さん、ぜひ以下をお読みください。




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 以前(8月)に,アメリカに交換留学に行くという記事を書かせていただきました,博士課程前期1年のAです。プログラムが終わり帰国したので,その振り返りを書くことで,自分自身の経験をもう一度思い起こすとともに,広島大学が提供する留学制度を通した経験を共有させていただきたいと思います。

 前回書いていなかったのですが,今回留学をした大学(ネバダ大学リノ校)に留学をするのは2回目になります。同じ大学に複数回留学することに決めた過程を,まず始めに書きます。その後,留学先での大学院生向けの授業,周辺施設や気候,実践したことや反省点をつづっていきます。



・2回目の留学

 前述したように,私にとって,留学をするのは今回が2回目でした。前回は,学部2年生の時に,同じ大学(ネバダ大学リノ校)に交換留学生として通っています。ただ,当時は正規の授業を履修できるだけの英語力がなかったため,IELC (=Intensive English Language Center)という,大学に附属の語学学校に1セメスター間(4か月間)通いました。(http://www.unr.edu/ielc

 IELCでは,語学学校ということもあり,「英語を学ぶ」ことに焦点を置いた日々を過ごしました。4か月間という滞在期間で,たくさんの友人と出会い,いろいろな国の人と英語でコミュニケーションをとるということの素晴らしさを体感することができました。その中で心残りがあったとすれば,「英語で学ぶ」経験があまりできなかったことと,英語で自分のことを話すことはできても,「論理的にかつ正確に」英語を扱うことがまだ十分ではなかったことがありました。

 大学院に進学が決まり,留学をする機会があると分かった時に,どこに留学をするかを考えました。まず,留学に際して条件の優先順位を付けましたが,私にとってはできるだけ卒業を伸ばさないことが上位にきました。そのため,1セメスターの大学間の交換留学を用いようと考えたのですが,それでも今回留学したネバダ大学リノ校以外にいくつ…

2016年度後期の「昼読」を終えて

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2015年度後期から始めた自主的な読書活動「昼読」の活動ですが、今年も何とか終えました。

きわめて地味な活動ですし、私自身、仕事の忙しさからさぼってしまおうかと思うこともないわけではないのですが、まさに「継続は力なり」で、この活動がなければ読まなかった本(特に外国語の本)はたくさんあります。また、会の最後での対話から私自身もたくさん学ぶことができました。(ひょっとしたら「昼読」の最大の利点はこの対話かもしれません)。

4月からの来年度では、教英だけでなくもっと広範囲の学生さんに呼びかけて、いろんな講座からの参加者を募りたいと思います。

読書が個人や社会の中で果たす役割を考えると、ぜひとも継続したい活動です。

以下は、今期特に出席してくれた二人の学生さんの振り返りです。




写真は打ち上げの焼き鳥屋さんで撮影したものです




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2016年度の「昼読」を終えて
学部4年(英語文化系コース) M
今年度も有志で行っているお昼休みの読書会、通称「昼読」に参加させていただきました。昨年度に同じコースの大学院生の方に誘っていただいて以来ですので、かれこれ一年以上の参加になります。今年度は基本的に週三回の開催でした。私自身この昼読への参加の中で多くの事を学ばせていただきました。

 短い時間ながらも、みんなで同じ場所に集まり読書をする。そして、お互いに自分が読んだものの内容や感想、意見をシェアする。このように書くと、単純な活動のように聞こえるかもしれません。しかし、こうした活動形態ゆえに、自分ひとりで読んでいるときよりも、緊張と弛緩のバランスが取れたように感じています。つまり、自分だけで読んでいるときはついつい惰性的になってしまうこともありますが、読んだ後に内容や感想をシェアするとなると、他の人に伝えようという意識が生じるため、読みながら頭の中で緩やかに内容をまとめていくというプロセスが生まれます。

こうした活動の中で、自分が読んでいた本の内容に対して賛成するような意見が出たり、一方で批判的な意見をいただいたりすることもありました。その際、ある程度自分の読みを客観視することができたため、その後の読みをさらに充実させることにつながりました。

 また、この一年間で昼読にご参加いただいた方々のことを思い出してみると、教英だけでなく様々な所属先から足を運んでいただきましたし(e.g. 教…

「勉強しよう」 --学部1年生の述懐--

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以下は、「英語教師のコンピュータ入門」を受けてくれた HY君 (学部1年生)が書いた文章です(フォントや赤字部分なども含めてすべて原文です)。

願わくばこの「勉強しよう」という気持ちが継続しますように。いや、経験を重ねるにつれ、ますます深く、広く、そして味わい深くになりますように。


折しも明日は学部入試です。

受験生の皆さん、実力を出し切ってください。

でも勝負は時の運ですから、「失意泰然、得意淡然」で結果を受け止めてください。

どんな結果でも「学びたい!」という純粋な思いがあれば、あなたの学習は成功しているのですから。






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 私は全16回の授業を通して多くのこと学び、感じ、考えた。今まで自分になかった未知のものに数多く触れた。そのように新しい発見ばかりであったこの授業の最終課題であるポートフォリオを書く上で、毎週書き留めていた授業の振り返りを見返すなどして、自分の様々な変化に気づいた。そのような変化をいくつかピックアップして、以下に書き並べてみる。




◎授業を通して学んだこと


・文章の書き方が変化した。
 -毎回の授業の振り返りの文末をみると一目瞭然。“思います。思いました。”が“思う。思った。”に変化。それにより、幼く思えた文章が少し大人びたものになった。それに加え、ただ感想を書き連ねるだけだったのが、感じたことを元に自分なりにその問題について考え、自分なりの見解も文章の中に含めるようになった。また、いかにわかりやすい文章を書くか、読み手への配慮を優先するようになった。


・コンピュータの便利さ、危険性を認識した。
 −小学生の頃から先進技術が発達し、世の中がとても便利になったと当たり前のように習ってきた。実際私も毎日スマートフォンやパソコンを利用し、技術革新の恩恵にあずかってきた。授業では、WordやExcelはもちろんのこと、単語をクリックするだけで意味が表示されるWeb辞書なども扱われ、今まで知らなかった便利さを実感した。それと同時に、コンピュータによって人の職がなくなっていく未来が十分にあり得ることを知り、コンピュータが発達しすぎることに恐怖さえ感じた。そのような現状をよく理解した上で、コンピュータをうまく活用していくたいと思う。





・以前より、“教育”という分野に興味を持つようになった。
 -振り返ってみれば、これまではただ「教師になりたい」と思うばかりで、行動…

「異文化間コミュニケーションとしての翻訳」に関する学生さんの振り返り

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以下は「コミュニケーション能力と英語教育」の授業で、「異文化間コミュニケーションとしての翻訳」について講義した際の学生さんの振り返りの一部です。講義の中では「英語の授業は英語で行うことを基本とする」という方針についても扱いました。

学生さんは学生さんなりに批判的に考えています。文科省の肝いりで「思考力・判断力・表現力」を本当に育てようとするのなら、少なくともこういった学生さんの思考・判断・表現を抑圧してはいけないと思わされます。





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■ 英語の授業一つとっても,最近は観察の観点が「いかに英語を使っているか」という部分にあると感じています。授業コメントの多くは,先生は日本語を20分も話していた,とか,生徒が英語を10分しか使っていなかった,オールイングリッシュでやっていたのが素晴らしい,などです。しかし,今回の授業で分かったことは,英語使用とは何かということです。

今の英語授業での英語使用というものは,パターンプラクティスや新出単語の繰り返し練習なども含めているように思えます。しかし,ドリル,パターンプラクティスは言語産出や言語再生ではあっても言語使用ではありません。そのような練習段階が必要でないといっているわけではなく,それがあたかも言語使用のように認識されていることに疑問を覚えます。

実習でも,専ら使用言語は英語であることが求められました。少ない英語の時間のなかで,生徒が少しでも英語に触れる機会を多くとるという,クラッシェンのインプット仮説に基づいているようでした。実際に英語で授業をしてみて感じたことは,教科書を開くのも,誰かを指名するのも,本時の目標を伝えるのも,プリントを解かせるのも,答えを聞くのも,ほとんどがクラスルームイングリッシュといういわばすでに定型化している英語を繰り返しているだけで,なんだか生徒とコミュニケーションを取っている感じがありませんでした。

これは実習だからということもありますが,本時案・細案で,生徒の反応まで事前に予測して決定して,その通りに進めます。そこで行われるコミュニケーションといえば,生徒の答えが自分の求めているものと合っているかそれとも違っているかという反応くらいです。コミュニケーション能力を養うはずの授業なのに,本末転倒な感じがします。

 訳読式の授業は今やoutdatedであり,批判の的にされていますが,今回の…

追いコン幹事をやってくれたAさん(学部3年生)の感想

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2月17日に今年度教英追い出しコンパがありました。この追い出しコンパも年々受け継がれている教英行事の1つであり、幹部学年が中心となって運営する最後の行事でもあります。そのような行事の幹事をさせていただいたことを本当に有り難く思います。




この会を開催するにあたり、学部1年生から教授方にわたる連絡、お店側との打ち合わせ、記念品や出し物の企画等、多くの準備が必要でした。これら全てがうまくいったのは、スタッフだけでなく多くの方々のご協力と温かい励ましがあったからです。何か大きな行事を成し遂げるには、縁の下の力持ちといいますか、目には見えないところで一生懸命動いてくれている人がいるからだということを再認識しました。改めて、この場をお借りして感謝の気持ちを述べさせていただきます。ありがとうございました。





この追い出しコンパは、今年度ご修了・ご卒業される皆様に向けたものですが、参加していただいた全ての皆様に楽しんでいただきたいという思いで企画・運営をしました。教英には伝統ある行事がいくつもあるわけですが、今年度追い出しコンパが大学生活の想い出の1つとして皆様の心に残ればと思います。そして、春から新入生を迎えるにあたり、これらの行事がますます盛り上がっていくことを期待しています。












教英追いコンは最高に楽しかったです!

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本日、今年度の卒業・修了予定者を送るための追いコンが開催されました。

私は教員としてこのような挨拶をしましたが、後は、もう無礼講というかなんというか、最高に楽しい時間でした。



二年生と三年生は、卒業・修了予定者のための動画を作って、会場ではそれが披露されたのですが、それがもう面白い。



画像としてのクオリティも高く、各教員も決して外では見せることがないおちゃらけをやっていました(笑)。




それに対して送られる方を代表して学部4年生有志がコントをやったのですが、それも抱腹絶倒でした。



こんなに楽しい時間を作れる教英生を私は誇りに思っています。



私はカメラマンとして487枚の写真を撮りましたが、撮影中はとても幸せでした。皆さんの幸せな顔を撮るのはカメラマンの喜びです(写真は、学生さんにダウンロードできるようにしました)。



追いコンを企画してくれた準備委員の学生さん、参加してくれた学生さん、みんなありがとう!







その間、学部生は控室の清掃をしていました(笑)

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修士課程の修了審査が行われている間、学部生有志が学生控室の自主清掃をしていました。




広大教英の控室環境はそれなりに恵まれていると思います。


学生さんはそこで語り合い、励まし合い、友情を培います。

もちろん、ずっと使っていると汚れてきますが、学生さんたちは見事に自主的に時折清掃をしています。






特段に「自治会」などの組織はないのですが、それぞれに協力して自らを律しているのは立派だと思います。

複数の人間で自発的に何かを行うこと -- この基本的社会的能力に乏しい若者が少なくない中、このように学生さんたちがきちんと自律しているのを見るのは頼もしい限りです




(ごめんなさい、親バカコメントでした)。m(_ _)m





修士課程の修了予定者を対象とした論文審査を行いました

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本日は修士課程の修了予定者を対象とした論文審査を行いました。

午前中は理論志向の研究の審査、午後は実践志向の研究の審査でした。




修士課程はもちろん、学部よりも要求水準がぐっと高くなります。

調べたことを雑多に述べるだけではなく、研究全体としてのstory-tellingを大切にしなければなりません。

つまり何が主題で、その主題がなぜ重要で、その主題についてどのように探究していくのか、探究の結果何が解明されたのか、その解明された事柄はどのように発展できるのか、といった流れで、読み手・聞き手を知的にentertainすることが重要です。これは簡単なようでなかなか難しいことです。



院生は二年間にわたり、いわば「ひーひー」言いながら自分の研究をまとめます。

やっている時は苦しいかもしれませんが、逆に言いますと、自分の考えに対して、これほど多くの人が建設的なコメントをしてくれる時期はありません。

正直に自分に向き合うことができる人は必ず伸びます。知的にも、人間的にも。

大学院進学希望の方は、まずは自分の指導教員になってみたい教員に連絡を取ってみてください。


教英ホームページ:スタッフ紹介
https://www.hiroshima-u.ac.jp/ed/faculty/course/eigo



卒業論文発表会を行いました

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大学四年間の集大成、さらには(大学院に進学する人を除くならば)小学校からの学校教育の集大成と位置づけることもできる卒業論文発表会を本日行いました。



近代社会で働くには、他人への共感能力を始めとした "common sense" だけではなく、複雑な事柄を単純明快に、かつ他人にも興味をもってもらえるように説明できる能力が重要になります(これは教職だろうがその他の職種だろうが、近代社会の多くの仕事で求められる能力です)。

卒論を書く意義はここにも求められます。

他人のことばを一つ一つ丁寧に読み解き、それ以上の注意をもって自分のことばを一つ一つ書き連ねます。その際に、自己矛盾は生じていないか、もっと簡潔に書けないか、読者はどのような疑問を抱くだろうかなどといったことを考えながら、書いては読み返し、読み返しては書き直してゆくのが論文執筆です。

この卒論作成の経験で身につけた能力を卒業生のみなさんが社会で一層発展させることを願っています。






翻訳あそび: Captain America と The Catcher in the Rye

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今回で翻訳あそびも一巡しました。6人で遊んでいるのですが,1回につき一人が題材を選んできたためです。


今回(6回目)のお題は二つです。


(1)ひとつ目はキャプテン・アメリカの翻訳です。

次のような疑問が出ました。「キャプテン・アメリカは誰に向かって言ってるんだろう?想定された少年?鏡に映っている自分自身に向かって?」



翻訳者K

世間が何と言おうと構わない。
周囲がクロをシロとしても関係ない。
この国じゃ,やるべきことは1つだけ。
それは,余計なことは考えず,自分の気持ちに従って行動することさ。
みんなが,「お前は間違っている」と言ってきたら,胸張ってこう言い返すんだ。
「いや,お前らが間違っているんだよ。」


翻訳者M

マスコミや政治家が何と言おうが関係ない。
奴らの牛耳るこの国が黒を白と言ったって関係ない。
それがどうであれ,己の正義に従え。
私たちはそう誓ったはずだ。
奴らに何を言われようが,信じたものは手離すな。
言われたなら「黙ってろ」と言ってやれ。


翻訳者T

新聞が君に何を教えてくれる?
政治家が,群衆が,君に何をしてくれるというのだ。
この国が今,岐路に立っていようなどと,君は考える必要もない。
このアメリカは,奴らの遠く及ばない崇高な信念によってつくられた。
がむしゃらに己の信じる道のために立ち上がった者たちによって。
時に奴らが君に向かってこう言うさ。「たのむ,力をかしてくれ。」
そんなとき,君の仕事はただ1つ。真実の川の堤の上で,あの木のようにどっしり構え,奴らにこう言ってやるのさ。
「よせ,お前が蒔いた種だ。」


翻訳者N

メディアの報道など知ったことか。
己の利得しか追い求めぬ政治家や,扇動された群衆の言うこともどうでもよい。
まして,この国全体が黒を白だと判断を下しても,俺たちには関係ない。
俺たちの祖国は,あるひとつの信念の上に建国された。「たとえ追いつめられようと,結果がどうなろうと,己の信じるものを守れ」という信念だ。
群れるだけの連中や,メディア,そして全世界が君の理想を否定し,自分たちに従うよう命令してきたとしよう。君のなすべきことはただひとつだ。真実の川のほとりにそびえる木の如く根を張り,己の信念のもと,こう言ってやれ。
「断る。お前が俺に従え。」


翻訳者H

報道機関が言うことなんて放っておけ。国をうごかすやつらや物見高いやつらの言う…

田尻悟郎先生のスピーチ実践 (6-Way Street) を見た学生さんの声

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この記事は、前の記事(ハンナ・アレントの講義から学校教育について根源的に考え直す)の続きです。


この授業(後半)では、


アレント『人間の条件』による田尻悟郎・公立中学校スピーチ実践の分析 http://ha2.seikyou.ne.jp/home/yanase/zenkoku2004.html#050418

などを参考記事としながら、6-Way StreetのDVD (上巻その2)の田尻先生のセクションを視聴して皆で考え語り合いました。


DVD: 6-Way Street http://medicomsoft.net/6way_street.html


私自身の考えを忌憚なく言うと、よい英語教師になるために重要なのは、常識、愛情、英語力の三つです。それらを一つにまとめるなら感性です。

感性の働きとは関係のない豆知識ではなく、人々が共有するあらゆる種類の感覚 (common sense) が私のいう「常識」です。教条的な善意に基づく一方向の働きかけではなく、社会的動物としての人間が本能的にもつ温かな心(あるいは「惻隠の情」)が私のいう「愛情」です。限られた知識・技能だけを測定する資格試験の高得点ではなく、その人とその場に即した形で発露されるのが私のいう「英語力」です。

若い世代が、下で語られる田尻悟郎先生のように、自らの感性を信じて学校教育の新しい形を開拓してくれることを期待しながら私は大学で授業をしています。


「こんな先生に出会いたかった! ~豊かな人生を送るために子どもたちに伝えること~」 http://www.kobegakkou-blog.com/blog/2014/08/post-cbeb.html



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■ 田尻先生の実践されたスピーチの授業のビデオはとても印象的でした。あのビデオを見て一番に感じたことは「自分が本当に何かを伝えたい時、自然に顔は上がり相手の目を見るし声に力が入り抑揚が出る。だから、声の大きさとかアイコンタクトとか評価する必要がない。」ということです。

この授業でも行われていたように、評価ではなく感想にすることで、自分の言いたいことがどう相手に伝わったのか、感想を書く側も自分の気持ちをスピーチした人に伝えることができ、お互いの気持ちを共有できると思います。スピーチだけど、そこには聴く人がいて対話が生まれるのだと思いました。


■ 授業の後…

ハンナ・アレントの講義から学校教育について根源的に考え直す

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以下は管理人が担当している「コミュニケーション能力と英語教育」という授業で、ハンナ・アレントについて講義した際の学部生の書き込み(予習・振り返り)の一部です。

授業(180分)では、前半でアレントを扱い、後半でその枠組を使って田尻悟郎先生(現在は関西大学)の中学校での実践を見て討議したのですが、後者のトピックについては次の記事で扱うこととして、以下はアレントについて学生さんが考え書いたたことを掲載します。

学生さんはまだ学部生であるということもあり、自分の小中高時代の経験をよく覚えています。その記憶、感性を失わずに、学校教育を改革していってほしいと切に願っています。





*****予習*****

■ 英語科が何を教えるための科目かということについては、英語科学習指導要領に「コミュニケーション能力」とはっきり書いてあるものの、実習の時にはそれが分かってはいても”かりそめの言葉”になってしまっていたように思います。

確かに言語材料がないとコミュニケーションは面白くならないのだけれど、教師があまりにも近視になってしまうといかに言語材料を教えるかのみに終始してしまうという本末転倒になってしまうのです。


■ 英語教育では、ペアやグループ活動を推進しており、多くの教師が、生徒同士が関わりあう活動を取り入れつつある。この事実に私たちは英語教育の改善を見出してしまいそうだが、実際やっていることはただの意味のない、意味交渉のない会話ということになってないだろうか。

習った文法、表現を使うためだけに紡ぎだされる言葉が生徒のからだを通して生み出されたものではない。アレント的にいうなら、活動ではなくただの制作になってしまっていることが多いのではないかと学生の立場ながら考える。自己表現という言葉について、私たちはもっとよく考えなければならない。昨日やったことを言わせたり、ディベートで反論をさせたりして、「はい、自己表現できました」と簡単に考えてはいけない。自己表現というものは、自分自身のからだ、こころとの語り合いによって生じるものあり、自分が伝えたい、聞いてほしいといった思いとともに自然に思いうかぶものではないかと思う。

しかし、なかなか伝えたいというように思うことも少ないし、ましてや正しいか正しくないかだけで測られてしまう制作的空間においては、自分自身を相手にさらけ出すことは不安でもあると思…

翻訳遊び:渡辺和子先生の著作に関する英詩を日本語翻訳

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小野章先生と学部生有志による「翻訳あそび」の第五回目です。ちなみにGoogle先生は、定型的な文章の翻訳は得意なのかもしれませんが、このような文章はどうもまだ苦手なようですね(もっとも今後はどうなるかわかりませんが・・・)



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今回は,岡山出身のM君所有の『置かれた場所で咲きなさい』渡辺和子著(幻冬舎)に関連する詩の翻訳です(同書に詩そのものが掲載されているわけではない)。
著者の渡辺和子さんは岡山の大学の(元)学長先生であり,M君も岡山出身であることから同書に親近感を抱き,購入したようです。最初の2連のみ翻訳しました(タイトルの翻訳は省略)。なお,各翻訳者の思いというか,翻訳しながら考えたことを「翻訳者のコメント」として付けています。






Bloom Where You Are Planted


Bloom where you are planted,
Shine where you are sent,
Know that God has used you here,
Just the way He meant.


Love where you are living,
Serve where it's His will,
Know that God has plans for you,
Only He can fill.


Grow where you are going,
Weep when you're in pain,
Know that God restores your soul,
Makes you whole again.


Pray when you are breathing,
Laugh when you exhale,
Know that God is near you,
Never will he fail.


Cherish all the memories,
Make a brand new start,
Know that God has placed you
Forever in our hearts.










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