2016/12/13

再び二重ループ学習 (double-loop learning) について


第四タームの新しい授業(学部3年生向けの「コミュニケーション能力と英語授業)の冒頭で、導入として人工知能 (AI) の進展や衆愚政治とSNSなどの話をして、考えることの大切さを訴えようとしました。



そういった話の一つに「二重ループ学習」 (double-loop learning)  を入れましたが、結構この話が心に残ったようで、授業の振り返りではこの話題が多かったです。



以下にその一部を掲載します。




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■ 今日の授業で最も印象深かったのは3つの学習方法に関する内容です。①与えられた前提をもとに行動計画を立てそれを実行したのちに結果を知るが、その過程からは何も学習することのない「ゼロ学習」、②すでに備えている考え方や行動の枠組みに従って問題解決を図っていく「単一ループ学習」、③既存の枠組みを捨てて新しい考え方や行動の枠組みを取り込む「二重ループ学習」です。
広島大学に入学し、これまでに約50種類の授業を履修してきました。振り返ってみると、残念ながら多くの授業で「ゼロ学習」をしていたように感じます。単位習得のために一時的に勉強し、テストが終わるとすぐに忘れてしまう…。このような学習は無駄であると分かっていながらもズルズルと授業を受け、単位を取得し、今に至ります。しかし自分の好きな分野においては単一ループ学習あるいは二重ループ学習が自然に出来ているように感じます。 
例えば、私が5歳の頃から今も続けているフィギュアスケートです。フィギュアスケートは頭の先から指先、足先まで、全ての部分をフル活用しながら4分間を滑りきる、肉体的にとてもハードなスポーツの1つです。持久力、筋力、体幹トレーニングは必須、その上少しの体重増加によりパフォーマンスに大きな影響が出ます。エディンバラに4ヶ月間留学していた時、氷上トレーニングが出来ない分、食事制限と過度な持久力トレーニング(1日16kmのランニング)により体重を減らすことがパフォーマンス維持に最適であると当時は考えていました。
帰国後ワクワクしながら4か月ぶりに氷上に立つと、あれだけ努力をしていたにも関わらず思うように体が動きませんでした。自分の体を車に例えると、ガソリン(体力)はあるけど車のボディー(筋力)が貧弱すぎて走れない(着地時に踏ん張れない)状況でした。私がパフォーマンス維持に最良の方法であると思っていたことが実は間違っていて、それプラス筋力トレーニングを行い、無理な食事制限をしなければよかったと大いに反省しました。その後私はそこで経験したことを活かしベストコンディションで試合に臨むことが出来ました。しかしさらにその後、ここまでストイックに考える必要はなかったのだと痛感しました。過度なトレーニングを行うことよりも、もっと楽しみ、リラックスして行うことが最も大切なことであると気が付きました。 
このように自分の好きな分野に関しては単一ループ学習や二重ループ学習を気付かないうちに行っています。大学の授業は生きていく上で無駄なものは1つもありません。今後はポジティブに考え、より積極的に授業に取り組んでいこうと、今日の授業で考え直すことが出来ました。


■ 二重ループ学習についてですが,この学習法を授業中に知った時に,私は「ああ,もっと早く知っておければなぁ」と少し後悔することがありました。SSH (Super Science High school) だった私の高校ではグループで何かしらの研究をしなければなりませんでした。私のグループではより効率の良い水車作りに関する研究をしていましたが,どうしてもうまく計測が出来ない問題にぶつかりました。何度も水量を調節したり,水路の見直しを行って調整したりしても水車の動きが不安定すぎて思ったように発電量が計測できません。 
結局その時は先生のアドバイスで水車自体の設計を一から見直し,ボールベアリングの導入や水車から発電装置(と言ってもただの小型モーターでしたが)の繋ぎ方を根本的に変えたりしてうまくいきました。この時は先生のアドバイスによって水車の設計を根本的に変えることによって研究がうまく進みました。水車の設計という前提を見直す発想が私にあったのならば,先生のアドバイスなしで研究を進めることができたはずでした。 
 今回の授業を通して再確認したことは,学校で教えたい本当のことは教科内容というよりも「社会でよりよく生きる術」を生徒に身につけてもらうことだということです。前述の水車に関する研究においても,先生が私たちに学んで欲しかったことは決してボールベアリングの摩擦係数でもグルーガンを用いた水路の補修でもなく,どうやって研究を進めていくか,もっと究極的にはどのようにして学んでいけばいいのかということであったように思います。 
特に高等学校の先生になると教科に関する高度な知識を有していて,それを生徒に教えることが主となってしまいそうですが,最も大事な目標はその教科を通じて生徒に生きる力を身につけてもらうことです。今回の授業で先生がおっしゃっていた学習方法に関することはそういう力に結びつくことであったと感じます。卒業までまだ時間はありますので,まずは自分の学習形態を見直していかなければいけないと痛感しました。


■ 電車の運転手・車掌、レジ係、新聞配達、ガソリンスタンド、参議院議員、専業主婦、交番の警察官、教員。さて、今私が列挙した職業は一体何でしょうか?これらは、オックスフォード大学の論文で「10~20年以内になくなる職業」として記載されていたものの一部です。私達が注目すべきは最後に挙げた教員でしょうか。 
私的な意見ですが、人工知能が人間の役割の代わりを果たすようになればなるほど、人と人との直接的なコミュニケーションの価値は上がっていくのではないかと思います。ですからここで言う、「人工知能に取って代わられるであろう教員」とは「単に知識の伝達しかできない教員」を指しているのではないかと思います。教員以外の仕事に関しても、私達の生活に極めて身近なものが無くなる可能性があるとされています。仕事のあり方が大きく変わりつつあるこの世の中で、その変化についていけず(あるいはその変化にすら気づかず)一方的に知識を与えることしかできない教員が生き残れないのは至極当然なのかもしれません。 
ただ、忘れてはいけないことは、現時点では人工知能は1を100にすることはできても0から1を作り出すことはできないということです。Amazonの倉庫で大活躍している機械も現時点では人間がいくつかのパターンやルートといったサンプルを与えない限り動きはしないのです。社会性・創造性・身体性がない職業は近い将来機械に取って代わられる、ということは裏を返せばそれらを必要とする仕事はまだ人間に任されているのです。 
教員になって社会性・創造性・身体性のある子どもを育てていきたいのなら、自分自身がそれらを有していなければ話になりません。人間の生活を豊かにするはずの人工知能が人間の職を奪い、人々の豊かな生活を蝕んでいる、と現代の科学の進歩を皮肉るのではなく自らがそういった社会でも生き抜けるほどにタフでありたいものです。 
 今回の授業で最初に触れたのはDouble-loop learning(二重ループ学習)でした。予習の段階では正直、「へー、そんな考え方もあるんだなぁ」としか思っていませんでしたが、授業で実際に「今までどのような二重ループ学習をしてきたか」を思い返してみて驚きました。私が「これは二重ループ学習だ!」と自信を持って言える経験は一つしかなかったからです。22年間生きてきてたった一回しか前提から何かを見直した経験がなかったのです。 
今回の授業の後半でも触れられたカントも「コペルニクス的転回」という言葉を口にしました。「天体が観察者の周囲を運行するのではなく、天体は静止し、その周りを観察者が運行する。」と主張したコペルニクスも、「そもそも」という点に着目し180°違った観点で物事を見たのだなと思います。そして、その考え方は確かに必要なものだったのだなと思います。ある意味では「前提を見直す」という行為は大変挑戦的なものであるように感じます。私は年を重ねるにつれて私自身がどんどん保守的になっているように感じています。まだ若いうちに行き詰まったら前提から見直してみる、という習慣を身に着けたいです。


■ 根本的な考え方を再検討し,再入力するという前提変更を取り入れた二重ループ学習は,自分のこれまでを振り返ってみても,「あ,あの時のあれは二重ループ学習だったんだ」とすぐに思い付きませんでした。なかなか思い当たる節がないということは,私が自分の思考や学習順序を構造的に紐解いた経験がないのか,そもそも二重ループ学習をしたことがないのか,もしかすると両方なのかもしれないと感じました。 
私たちは,前提を変更するときに,恐怖や不安を覚えます。特に,その新前提が,自分の知識にある,「前提と成り得るもの」の中にないとき(つまりは,新前提と成り得るものを,誰かがしていたと聞いたこともないし,もちろん自分でもしたことがないとき),その恐怖や不安は膨らみ,やっぱりやめておこう,となってしまうように思えます。「誰かがしていたと聞いたこともない」と前述しましたが,私たちは成功例を探し,それに安堵します。新前提を,有名なあの先生も授業に取り入れて成功していた,あの本に書いてあった,など保障を探してからでないとなかなか取り入れようという気になれません。教育実習で,教科書に取り入れられている活動がつまらないと感じた人が,自分なりにオリジナルの活動を考えに考えましたが,指導教官の先生に採用されることはなく,結局教科書の活動をそのまま取り入れると,なにもダメだしされることなく案が通った,という話を聞きました。教科書という教育現場では覆されないであろう前提に頼って,楽をしてしまう,考えることをやめてしまうこともあるようです。 
また,自戒を込めて言うと,前提が悪いのはわかっていても,そもそものアイデアがなく,どう変更したらよいかわからないこともしばしばあります。そのアイデアというものは,学校で教わったり,読書経験であったり,その他メディアなどから影響を受けて生み出されるもののように思えます。「考える」とはその様々なアイデアを統合したり,捨象したりなど試行錯誤が伴う行為のように思えますが,私たちほとんどが,「1600年には何が起こったでしょう」という質問に,「関ヶ原の戦い」と暗記したことを答えるというような方法でしか自分の知識や考えを試されてこなかったのではないでしょうか。授業でしたこと,先生が教えてくれたこと,テストで求められたことしかできないのです。そう考えると,教育の責任の大きさを改めて痛感し,今後生徒に教える立場に就こうとしている私たちは非常に重要な役割を担うことになる,と少々怖気づいてしまいました。



■ ダブルループラーニングという単語は初めて知りましたが、何か結果が出た際に自らの行動計画の前提に立ち返るという考え方は、自分としてはストンと落ちた気がします。自分は今までダブルループラーニングをしてきただろうか?と振り返ってみましたが、前提を変える、という大胆なアクションを自分が取っているはずもありませんでした。なるべくリスクの高いことはしないように、という意識が根付いているので今までの自分は単一ループ学習の繰り返しだったのかもしれません。何かに行き詰ったときに根本的なところを変えていこうとするのはとても勇気のいる行為ですが、失敗しないようなビジョンを見据えた上での前提変更、という賢い立ち回りができるように、「先を見据える力」は育てていきたいなと思いました。



■ 本講義ではいくつかの意見交換を行いましたが、その中で印象的だったのは「二重ループ学習」についての議論でした。自身が行ってきた二重ループ学習について考えるとき、先生に紹介されたとおり、私たちのグループでは「これまで私たちが変えることができた前提などあったのだろうか」「そもそも私たちが変えられる前提とはなんなのか」という考えに至りました。 
なぜそういう考えにまとまったかというのを改めて考えてみると、自分は基本的に与えられた環境(前提)を享受し、そこで自分が生きやすいように行動計画をして実行していくことはあっても、その環境に疑問を感じることがなかったからなのだと思います。また、自分がその環境を変えたつもりになっていても実際はだれかの影響、助言などがあるなど自分一人でそこまで至ったかと思うと正直怪しいものがたくさんあることも挙げられます。しかし、これから教師になるものとしてはそこにある環境をそのまま受け入れて収まるだけでは務まりません。何かの改善を図るためには前提を変える決心がとても重要になるというお話もあり、自分の受動的な姿勢を見直していきたいと思いました。


■ ゼロ学習と単一ループ学習とは異なり、二重ループ学習では、「前提」を変更することが加わる。前提はしばしば頭にこびり付いて離れない。自分で決定した前提というのは自分自身の経験や信念と深く繋がり合っているため、自分の思考や行動そのものをメタ認知できなければ、自らの経験から気付くということは容易にできるものではないと思う。前提から間違っていることを他人に指摘されることはあっても、自分ではなかなか気づけないのはそのためだ。



■ 今回の授業で印象的だったのはゼロ学習・ループ学習に関する話です。ゼロ学習・単一ループ学習からなかなか抜け出せず、進歩が無いまま伸び悩んでしまうという現象は教育現場に限らず様々な場面で見受けられると思います。とりわけ一定の成果をあげることができた場合には、その成果に満足してしまい、さらなる成果を得るために、ループの中に大きな変化を起こすことをためらってしまうことがあると思います。特にループの前提を変えることは単一ループの状態では安定していたものまで失う可能性が生じるため、勇気をもった決断が必要になります。私は、前提を変えることはある意味恐いことで、その発想を持つ段階にまで至らない人が少なくないという話を聞いて、確かにそうだと思いましたし、また前提を変える以前に、前提を疑うこと自体が大抵の人にとって難しいのではないかなと思いました。



■ 教師という立場から、文科省から出された指針や過去の研究に沿って、教授、評価をしていくのは仕方がないことだとは思います。しかし、そこですぐに正解に飛びついて思考をとめてしまってはAIと同じです。人としてできる「思考する、他人とそれをすり合わせる」ことをやめてしまってはいけません。常に問い続け、考えることが教師にも重要なことだと考えました。



■ 今、リッカ・パッカラ著の『フィンランドの教育力—なぜ、PISAで学力世界一になったのか―』という本を読んでいるのですが、フィンランドはPISAにおいて優秀な成績を残しているにも関わらず、国内ではそのことが話題にあがることはほとんどなかったと言います。文章を読む限り、フィンランドの教師は、PISAの結果を上げるためではなく、ただ一生懸命、出来るだけ多くのものを子どもたちに与えたいという思いで教師という仕事に喜びと誇りを持ちながら取り組んでいることがよく分かりました。 
その背景には、国民が皆厚い信頼を置く教師のレベルの高さというのもあると思います。フィンランドでは修士号を取得しなければ教師にはなれず、そのカリキュラムも非常に良く出来ていて、一年生の時から毎年教育実習があるそうです。さぞかしハードな学生生活なのだろう…と思いましたが、著者のリッカ・パッカラさんは、大学五年間の授業はとても楽しかった、と書かれています。その大変さよりも、学ぶことの楽しさ、教えることの喜びが勝る。教師としてあるべき姿勢を、大学生活の中でじっくりと養ってこられたことがとてもよく伝わってきます。 
 また、教師の先生方は日頃から「子どもに何かを与えるには、まず自分が豊かになる必要がある」と考えており、何らかのトレーニングを年に一度受けているそうです。例えば、コンピューターが各学校に導入された際には、授業を他の人に変わってもらいながら先生方はトレーニングを受けたそうです。これは、先生がおっしゃっていた、「教採に受かって教師になれるかどうかではなく、どんな教師になるかが大切だ」ということをフィンランドの教師のみなさんは常に考え、行動していることを物語っています。 
 誰もが教育は重要だと考え、教師のレベルの水準を上げ、誰でも無償で教育を受けることのできる環境を整えた結果、気づいたらPISAで一位をとっていた、という国と、PISAでの順位をあげるために小手先だけ教育内容を変えてきた、という国のどちらの未来が輝いているかは、一目瞭然だと思いました。


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先日は、学部一年生の感想を掲載しましたが、その感想と上の感想には違いがあるでしょうか?もし違いがあまりないとしたら、思考力や表現力などにおいて広島大学の教育が功を奏していないことになります。私としても、読み返してみたりして考えたいと思います。



関連記事

二重ループ学習についての学部一年生の感想
http://hirodaikyoei.blogspot.jp/2016/11/blog-post_16.html

ダブルループラーニング (double-loop learning 二重ループ学習)についての私的まとめ
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2016/11/double-loop-learning.html



2016/12/07

AO入試を受験してくれた皆さんへ


11月17日と18日に実施されたAO入試の結果が先日発表されました。

まずはAOで教英を受験してくださったすべての皆さんに感謝します。

皆さんの貴重な時間を使って教英で学ぶための準備と努力をしてくれてありがとうございました。
教英もその期待に応えられるよう(いや、その期待を超えた活躍ができるよう)、一層、教育と研究に力を注がなければならないと思いをあらたにしました。





合格通知を送ることができなかった皆さん、残念です。

いくら合格させたくても定員の関係でどうしても合格通知を送ることができないことがあることをご了解ください。
できれば前期入試で再チャレンジしてください。


合格通知が届いた皆さん、おめでとうございます。

教英で一緒に学びましょう。
まずは卒業までの高校生活を充実させてください。
友だちは入試に向けてますます集中力を上げていると思います。
そんな友だちに対して恥ずかしくないように高校生活を充実させてください。

そして、皆さんの知的感性を取り戻してください。


高校ではしばしば「大学に入ったら好きなことができるから、高校時代はひたすら我慢して勉強しろ」といった指導がなされることがあります。

しかしその結果、いざ大学に入ってみると「自分が何をやりたいのかわからない。というより、自分が何が好きなのかも実はわからない」という学生さんが少なくありません。

「勉強 = 面白くないことを我慢して暗記すること」といった誤った刷り込みに基づく毎日で、知的感性が損なわれてしまったからです。「これって何だろう?面白そう!」というワクワク感を抑圧し続けたあまり、知的な感性の高まりを自分で感じることができなくなったからです。

知的感性は、意欲や関心、そして学ぶ態度の根源です。この根源がやられてしまったら、面白くないまるで機械のような人間になりかねません(そして機械のような人間は今後、どんどん高度化する人工知能 (AI) にやがて取って代わられるだけになるのかもしれません)。


「学ぶことは楽しい!」 -- これが教育学部で皆さんに身につけてほしい実感です。


その教育学部での生活を始める前の3月までの時間をぜひ有効に使ってください。



TED Edはご存知ですか?

幼稚園児から高校生に至るまでの学習者のために作られた英語動画集です。
画面右下のCCというアイコンを押せば英語字幕も出ます。(英語字幕が出るとリスニングもずいぶん楽になりますよね)。



似たような趣旨のサイトにMITK12Videosがあります。

MIT(マサチューセッツ工科大学)が中心となって作成している若い学習者向けの英語動画集です。これにも英語字幕があります。





ぜひ英語で世界を広げてください。教英の先輩方が勧める動画もぜひ参考にしてください。


広大教英生がお薦めする英語動画集
http://kyoeivideoselection.blogspot.jp/


その他にもし助言が欲しかったら、ぜひ教英教員に連絡を取ってください。

学ぶ意欲のある若者を教英は大切にします。

教員への連絡方法は、教英のホームページを御覧ください。





2016/11/30

「アクティブラーニング」のような授業を経験した学部一年生の感想


先日、学部一年生向けの「英語教師のためのコンピュータ入門」という授業で、エクセルを使ってテスト得点を偏差値に変換することを扱いました。私の授業では、形式的な手続きだけを覚えて課題をこなすことはせずに、その課題の意味を考えさせ表現させることを常に重視しています。



今年からは180分授業になったこともあり、今回は私がそれなりに説明をして問いかけをした後の学生同士の話し合いと教え合いを以前にもまして充実させました。私は流行語になっている「アクティブラーニング」についてはあまり知りませんが、おそらくはそれに近い授業形式になったのかと思います。



以下は、その授業に対する学生さんの振り返りの一部です。肯定的な意見から批判的な意見まであります。授業を展開する際には、まずその第一の当事者である学習者に耳を傾けなければと改めて思わされました。




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■ アクティブラーニングの重要性はなんとなく分かっていたが、実際に体験してみるといつもの授業では体験しないような刺激を受けた。将来このような授業ができたら、英語を楽しいと思ってくれる生徒が一人でも増えてくれるのではないかと思った。

■ のっぽ度やぽっちゃり度を通してz得点について考えていく際は、アクティブラーニングの形となった。このようなことは、生徒同士で考え合い、教えあったりする方が、先生が一方的に知識を与えてくるよりも、気が楽だなあと感じた。(特にその分野が苦手な人は。)また、わかった時の達成感も生徒同士で分かち合えるから、楽しいと感じるのではないかと考えた。このように、生徒の楽しいと思う気持ちや協働することによって達成感を味わえるのが、アクティブラーニングのメリットなのではないかと思った。

■ ・・・そのあとにデータの分析をした。高校に習った記憶は忘却の彼方にいってしまったが、高校で習った時よりその本質を理解できたと思うし、何より楽しく学ぶことができた。先生も言われていたが、あれが”アクティブラーニング”であると知り、私もそういう授業を展開できるようになりたいと思った。教師として自分の知識をひけらかしたり、学習者と教師との間に概念的に差を設けて教える立場と教わる立場とするのではなく、どちらかというと教わる立場にいる人たちがともに学んでいくのを助ける立場になる授業があっても、それもまた良いのではないのかと思った。また、ここで得た知識をもとにしてデータの分析もちゃんとこなせるようになりたいと思う。

■ 標準偏差も分散も、偏差値も聞いたことはあるし、数学の授業で計算して出したこともあったけど、いざ言葉で説明しろと言われるとできませんでした。授業受けた後の今でも正しく教えることができるかと言われると、自信がないですが。わかった友だちに説明してもらっている間に理解できたと自分で思ってもそれを人に教えろと言われるとできませんでした。人に教えることの難しさというか、責任を感じました。自分が完璧でないのに人に教えていいものなのかと思ってずっと考えてました。理解が遅れたのは、高校時代に公式だけ覚えていた上っ面の知識だったからかなと思います。エクセルも関数使えばいいやと思っていたけれど、偏差値などは関数がなくて平均点や標準偏差を自分で出してからやらなきゃいけなかったりと、関数頼りなだけではダメだなと思った。

■ Excelで求めることができる様々な数値、それらを簡単に求められるようになるためにはその数値がどんな意味を持って、どんな用途で効果を発揮するのかを把握しておく必要があるのだと、この授業で感じた。今回は分散と標準偏差について皆で協力して考えたが、なかなか思うように議論が進まなかった。何となく答えはこうだろうというのはおそらく皆分かっていたのだが、それを言葉にすることがしばらくできなかった。少しずつ言葉を出し合って、これだという説明を一時は思いついて、先生に他のグループの人にも伝授してやってくれと頼まれたが、再び自分の言葉で説明することができなかった。人にものを教えるときは教える側がそのものをいろいろな角度から完璧に理解できていないと、説明しながら自分で分からなくなっていく恐れがある。もし自分の知識に自信を持てない教師が生徒を教えると、お互いに無理解が深まるのだと実感できた。まずはExcelについて人に教えられるレベルにならなければならない。

■ 今回は、Excelを使い偏差値を求めたり、標準偏差を求めたり、違うグラフにおける10という大きさの役割の違いを考えたりした。個人で考えた後、ペアワークをし、最終的にわかる人がわからない人に教えて、全体に広げるというアクティブラーニングだった。私は高校で覚えた標準偏差や分散の求め方をさっぱり忘れていて、ペアもお手上げ状態で手が止まっていた。しかし友達が教えに来てくれてなんとか理解することができた。やっぱり説明を聞いているだけでは身についておらず、実際に自分がやってみて初めて理解が深まるということが実感できた。でも実際にこのようなアクティブラーニングを中学校や高校の授業に取り入れるとなると時間がかかりすぎてしまうため、カリキュラムに追われている教師側からすれば導入しづらいんだろうと思う。なんとか時間をとってアクティブラーニングが学校の授業に導入できたら、全員が理解した状態で次の段階へ進むことができるのではないかと思った。

■ 今回の範囲はとても難しかった。高校で苦手だった数学は教英に入れば使わないだろうと思い、わからないところはそのままにしてきた。授業中の課題も正直に言うと、偏差値を出すのもエクセルに公式を打てば勝手に出してくれるし、わざわざ難しい理屈のようなものを考える必要がないと思ってしまった。知識の乏しい私にとって、話し合いをしても課題を理解することは難しかったが、一人だけではなく何人もが私に熱心に教えてくれ、グループワークの良さを実感した。一人で課題に取り組み挫折し時間が過ぎるのをただ待っていては時間と授業料の無駄である。完全に今回の授業の内容を理解することはできなかったが、教えてくれた人たちのおかげで少しは理解できたのでとても感謝している。

■ 私の立場と経験から想像して考えたことで、アクティブラーニングへの考えが自分なりに進んだことを以下に示す。

 今回の学習で特に印象的だったことのなかに、問題「ある集団において、『身長の大きさが平均より10(cm)大きい』ことと、『体重の値の大きさが平均より10(kg)大きい』、この『10(cm)』と『10(kg)』、仮にのっぽ度とぽっちゃり度とするなら、値が10増えたその程度は同じなのだ と言えるだろうか?」を素材にするアクティブラーニングの実践があった。

 そこで抱いた次の違和感から、以下のことを考えた。

 「自分の教え方が上手くない」と、「自分の頭がよくないからわからない」と感じると、もやもやして立ち止まってしまうのは私だけなのかな。

 生徒のアクティブラーニングを見守る教師の立場を意識しつつ考えると、授業においてはそのような「解決には至らない」あり方も可で、集団に任せ、教師がサポートをする働きをする活動全体で、「求めるアクティブラーニングの形」になっているのだろうか。

 アクティブラーニングにおいて、求められうる「成果」とはどのようなことなのだろうか。成果(「他の生徒の理解も進んだ」もしくは、「他の生徒の理解も『少しでも』進んだ」となるのだろうか)が生まれるか生まれないかはどの程度後においておくのだろうか。むしろ成果が生まれることに、教師ははじめからプラスの期待をもっておくのか。あくまで「生徒を信じる」スタンスをとっているのか。そのスタンスが無責任にも感じるのは、私自身のグループ学習での苦い経験からだろうか。アクティブラーニングにおいて、指導者(教師)に求められるあり方とはどのようなものか。

 自分の経験と、アクティブラーニングの実践の場面に居ての気づきから考えたこととして、やはりアクティブラーニングの際のグループ内での役割の偏りや、他者との比較をするなど個人のもつ考え方のような細かで複雑な状況の構成要素 などに起因する心理的負担(初歩的なグループ学習からつきものであると考える)に対してはサポート役の教師の役割は不可欠で、単なる生徒への丸投げは見過ごせないものだなとの考え方に気づいた。(この考え方をしないと、他者との学習・グループ学習などで辛さを感じる生徒の人格否定につながる。単に生徒自身がデリケートすぎる、弱すぎる、当然耐えていかないといけないこと(?)に耐えていくのは当たり前と生徒の感情を軽く扱う、のように)。
(中略)
 アクティブラーニングで扱う素材は、ある程度その理解を目標としたとき、目標達成されるべきこととして扱わなくても良いような、身につけることが義務のように言われない題材であることが大切なのではないだろうか。

 しかし学校現場で特に初歩的なアクティブラーニングの素材として扱う上では、生徒のやる気を引き起こす題材である必要から、ある程度、いわゆる身に付けておくべきことに関することでもある必要があるだろう。

 これらの兼ね合いの難しさから、K先生が授業「教育実習入門」での授業観察後日、討議時におっしゃったことを思い出す。「はたしてアクティブラーニングで扱う素材に、文法事項の学習プリントがふさわしいものであったのか(それがアクティブラーニングを成り立たせる要因の働きをしていたか、との言い換えができるだろうか)」。

 K先生のお話をうかがったときにはピンとこなかった事に対し、自分なりに少しでも近づけたかと感じ、高揚を抱いた。時や場を同じくせずに得た知識・経験・エピソードが、結びついていく感覚であった。これは私にとっての考える事のごほうびとなるような気持ちでもあり、自分の学びの原動力の一つを再確認ともなった。

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英国ウォリック大学のCatherine Prentice先生、教英訪問



 11月17日(木)、英国ウォリック大学のCatherine Prentice先生が教英を訪問され、学部1年生(28生)を対象に、来年(2017)年度のプログラムについてお話をされました。
 





 授業の合間を縫って昼休みの短い時間でしたが、ウォリック大学のプログラムの特徴や留学の心構えなどを話され、参加学生からも「少し英語が早かったけど、先輩から聞いたこととつながってうれしかった」などの声がありました。




 これまで担当されていたPaul Wilson先生、Rose Woodford先生に代わってCatherine先生がコースを引き継がれます。20年以上続いている本留学研修プログラムでは、教英生はホームスティ先からも評判がよく、来年春にも新2年生が参加することを期待しています。

(F)

9月着任の西原先生もかつてウォリック大学で学びました。


昼食会には名誉教授の三浦先生もお越しになりました。




2016/11/29

大学祭の教英チーフをやってくれたHY君の感想


先日、大学祭が行われましたが、その一部の教育学部祭 (E-storm) で教英のチーフをやってもらったHY君(学部一年生。通称「教英28(にーはち)」)に手記を書いてもらいました(HY君、ありがとう)。



複数の人々がかかわる社会的な経験を学生時代にやっておくことは決定的に重要です。HY君をはじめとした多くの教英貴重な学びをしたことを嬉しく思います。



このブログを読んでいる高校生の皆さんも、学校行事やクラブ行事あるいは学外行事などには積極的に取り組んでください。テスト勉強だけしかできないつまらない人にはならないでくださいね。




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 今年の春に広島大学に入学してから、すでに7ヶ月が経過しようとしています。この7ヶ月は今までのどんな日々よりも経過の早いもので、多くの初めての経験に戸惑いながら毎日を過ごしてきました。

 そんな中、11月5・6日に広島大学大学祭が行われましたが、同日、教育学部でもE-stormと呼ばれる教育学部祭が開催されました。E-stormでは、ステージで出し物を披露するストーム杯、当日訪れる子ども達が楽しめるものを用意するEポイント、模擬店を出店するぐるめぐりの3つを学部一年生が中心となってコースごとに行います。

 僕は今回のE-stormで教英のぐるめぐりのチーフを務めました。ストーム杯とEポイントにも1人ずつチーフを決めて、それぞれのチーフ3人を中心に進めていきました。4月から教英では先輩方が中心となって準備してくださった行事が何度かあり参加していましたが、いざ自分達が中心となって動くとなるとわからないことばかりで全てが手探りの状態からから始まりました。しかし先輩方にアドバイスを求め、何より教英28のみんなで協力することで何とか乗り切ることができました。

僕はE-stormを通して、大勢で一つのことに取り組むことの大変さを感じました。

 一番初めの話し合いでは3つの部門それぞれのテーマ決めを行ったのですが、E-stormまで時間があったこともあり、なかなか意見が出そろわず話し合いがうまく進みませんでした。しかし一つ意見が出るとそれを皮切りに意見が出始め、教英では焼うどんを販売すると決めることができました。その時に感じたのが、ただ意見を求めるだけでなく積極的に自分から意見を出せばより話し合いを円滑に進めることができたのかなということでした。

 また、E-storm直前の買い出しや食材の仕入れなどの準備においても、大学の近くに住んでいる人たちの家を借りたり車を持っている人たちに運搬を手伝ってもらったりなど、みんなで協力することで乗り越えることができました。

 当日は、怪我をした人もおらず無事に終わることができました。みんなで声を出して宣伝したり店を回したりして、なかなかできない体験ができとても楽しかったです。また、事前にシフトを決めていたのですが、自分の自由時間を犠牲にしてまで店を手伝ってくれた人たちもいて、教英28のみんなをとても頼もしく思いました。

 E-stormのチーフを務めることで、なかなかできない貴重な体験ができましたし、自分自身とても楽しかったです。そして何よりこのE-stormを通して、教英28の仲がさらに深まったような気がします。E-storm最高でした!

2016/11/16

二重ループ学習についての学部一年生の感想


11/11-12に山口市で開催された全英連(全国英語教育研究団体連合会)に参加しました。全国各地から英語教師が集まる大きな大会ですが、教師としては多くの卒業生に会えるのが楽しみです。(みなさん、元気そうで何よりでした)。




管理人はある発表者の「指導助言者」として「二重ループ学習」といった概念について解説をしたのですが、

ダブルループラーニング (double-loop learning 二重ループ学習)
についての私的まとめ



その話を授業でも少ししたところ、学部一年生が感想を書いてくれました。

以下にそのごく一部を紹介します。

学生さんの多くは「こういった深い思考は授業の中ではほとんど経験したことがない。経験したことがあるとすればそれは部活だ」と言いますが、今年もそういった発言がみられたことは、教師としてよくよく考えなければならないことだと思わされます。



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■ ゼロ学習と単一ループ学習と二重ループ学習について、私はゼロ学習に満足していたと思いました。自分の中にある前提、例えば「これをしたら成績が上がるだろう」とか「みんながやっているからきっといいことなんだ」と勝手に決めつけているものをもとに計画を立てていました。そして、その計画通りまたは計画以上のことができたらそれに満足して納得してそこで終わっていました。

 私がこのまま教師になってしまえば、与えられた教材について考えることもせず、ただ授業をして生徒がそこそこの点数を取ってくれれば満足してしまう、そんな教師になってしまうと思います。しかし今回の授業を受け、修正することまたは正しいと思っていることまでも問いただしていかなければならないと思いました。

 これまでに、計画を立て、実行できなかった時に計画を修正することはあっても、自分が信じている根本的なものを疑ったことはありませんでした。なぜなら、最初から正しいと思っていることを疑って間違っていると断定することは困難でとても勇気がいることだからです。しかし、それができてこそ成長していくと思いました。


■ はじめに二重ループ学習についてであるが、正直私は、今まで元から定められた前提を疑うということを考えたことがなかった。この考え方を授業で学ばなければ将来きっと私は、上司(先輩の先生)から言われたことが正しいと思い込み(たとえそれが明らかに自分の考えと違っていても)、前提を疑う勇気を持てていなかっただろう。その前提が指導要領やもっと上から定められたものであれば尚更である。

 定められたものを変えるには多くの様々な知識や教養が必要だと思う。変えようと思っても自分に自信がなかったら躊躇してしまうし、前提を疑っても今度は自分の前提が間違っている可能性もある。しかし、前提を変えることを恐れてはいけないと思った。前提を変え、しばらくして自分が間違っていると気づいたらまたその前提を修正すればいい(またそこから試行錯誤していくことは簡単なことではないが)。そして、より良いものにしようと努力することが大切だと思った。

 前提を変えることは相当勇気のいることだと思う。だが、勇気を持たなければ何事も前進しないし、良い方向には向かっていかない。将来、単一ループ学習に陥らないように「根本を見直す」ということと、「前提を変える勇気を持つ」ということを忘れないでいたい。


■ 中学生の時、バレー部で毎日バレーノートをつけていました。その日の練習メニューやできたこと、できなかったこと、先生やチームメイトからのアドバイス等を記録し、次の日からの改善を図るためです。これは単一ループ学習に分類されると思います。

 二重ループ学習がバレーボールにあったかと考えると、やはりスタメンの移動やポジションの入れ替えが思い浮かびます。個々の技能を好プレーのためにどう改善していくのかではなく、そもそもそのポジションに向いているのか、前提を問い直した顧問の采配がなされていたと今は思います。また「なぜ自分がキャプテンなのか、もっと他にふさわしい人がいるのではないか」と直談判したことを思い出し、今まで二重ループ学習は自分はしたことはないと思っていましたが、もしかしたらあの時は無意識に、その入り口に立っていたのではないかと今になって思います。

 また、授業で説明を受けている時、ふと、にしき堂の「100回試みて1000回改めました」という生もみじのCMを思い出しました(広島ではよく流れます)。文字面のみ見ると、行動修正を繰り返した単一ループ学習のように見えますが、従来の餡とは異なるチーズクリームやチョコレートなどを使用した商品を展開しているところを見ると、二重ループ学習を取り入れたため、幅広いニーズに応え支持され続けることに成功したのではないかと思いました。

 単一ループ学習で終わらない(例えば、そもそも何のために学習するのか)前提を問い直して根本的な修正・工夫を行える教師になるために、まず学習者として自分の周囲でもっと改善・変革できるようなものはないかアンテナを張り続けていきます。



■ 単一ループ学習と二重ループ学習の話を聞いたのでそのことについての感想を書きたいと思います。この二重ループ学習の話は自分が非常に考えさせられるものでした。私は部活動で卓球をしているのですが、弱くて全然勝つことができません(そんなレベルならやめて勉強をした方がいいと言われれば、そうなのかもしれないと内心では思ってしまうレベルです)。

 そんな状況の中で自分のいまやろうとしているプレーは本当に正しいのか、求めているプレースタイルそのものが間違っているのではないかと思うことが多々あります。これは二重ループ学習に近いものなのではないかと思います。そしてもし自分のしていることが二重ループ学習の一種だとするならば、前提を変えるというのはなかなか難しい、決断に勇気がいる行為だと身を以て体験していることになるんだと思います。

 私は高校生の時に卓球のプレーに関し、前提を変えたことがあります。そしてそれはお世辞にも成功とは言いがたい部分もありました(成功した部分もありましたが)。先生は前提を変えて立てた(新たな前提)そのものが間違わないようにしなくてはいけないと仰っていましたが、これをするためには熟考に熟考を重ねなければいけず、時間をかけてすべきことなのだろうと思いました。


■ 今回の米大統領選においてトランプ氏が勝利したことに対して不安を口にしていた私たちに、先生は広い世界で見ると大きな変化はたくさん起こるし現に起こってきたとおっしゃられました。私は、例えば第二次世界大戦やソ連の崩壊、コンピュータ-の台頭といった世界中で起こった大きな変化を体験したり見たことはないのですが、そのせいか漠然と変化に対して怖いと思ってしまいます。永遠普遍のものはない、いつだって世界は時代や社会に応じて変化を続けてきた、そうわかっていても無償に変化を恐れてしまう私は保守派の人間だと思いました。

 世界的に大きな変化でなくても、例えば私たちの将来に大きく関わってくるこれからの英語教育の変革についても同様です。翻訳の点で言うと、人工知能の存在や、言語という観点から言うとグローバル言語としての英語の存在、これらがこれから変化する中で決して今と同じ状況ではいられなくなる英語教師はどうすればいいのか、頭を柔らかくして考えなければならないと思いました。

 その中で、前回紹介してくださった単一ループ学習、二重ループ学習のお話から前提を問い直すことという考え方が非常に印象に残りました。グローバリゼーション、異文化理解においては今縛られていることから自分を解放することはきわめて重要だと思います。また、大きく考えなくても自分が生きるうえでプラスになる考え方だと思いました。


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変化がますます激しくなることが予測されるこれからの時代を生きる若い世代を育てるために、私たち大学教員も常に自分の前提を問い直しながら教育・研究を行う必要性を再認識した次第です。




大学院生 研究助成事業に採択

中国地区英語教育学会の研究助成制度である「CASELERs」に、教英M1の上原さんの研究が採択されました! 中国地区英語教育学会のWebサイトは こちら 研究成果は、来年度の中国地区英語教育学会(本学にて開催)または全国英語教育学会 大阪研究大会にて報告されます。現在教英の大学院...