2016/12/30

学部4年生Mさんによる10ヶ月オーストラリア留学体験記


先日留学から帰ってきた教英生Mさんの留学体験記です。「書いていると書きたいことが溢れてきてしまって長くなってしまいました」とはMさんの弁ですが、この体験記が読者の皆さんの何らかの参考になることを願って掲載します。Mさん、ありがとう。




*****

読者のみなさん、はじめまして。私は2016年2月から同年11月まで、広島大学の交換留学制度であるHUSAプログラムを利用して、オーストラリアへ留学していた教英生です。

この度は、現在、あるいはこれから教英に所属し、教英のプログラム以外の留学を考えている人へ、私の経験した留学の基本的な情報と、私の考える、留学をするにあたって知っておいたほうが良いこと(プラス面はもちろん、マイナス面も)をお伝えするために、ブログに投稿させていただくこととなりました。よろしくお願いいたします。


まず初めに、私の留学について簡単にご説明いたします。

留学方法:HUSAプログラム(広島大学と提携している海外の他大学との交換留学制度) 
派遣期間:2016年2月~2016年11月(学期制度は派遣先の大学に準ずる) 
派遣場所:オーストラリアのサウスオーストラリア州にあるフリンダース大学 
履修科目:[前期]ミクロ経済学、マネジメント、マーケティング、心理学
     [後期]マーケティング、心理学(2種類) 
備  考:私は4年生の終わりに留学しました。自分の所属する教育関係の授業をすべて履修済みであったため、今まで自分の学んだことのない、興味のある分野にチャレンジしました。一般的には3年生の時に留学される方が多く、その場合は自分の所属する学科と同じ授業を履修し、帰国後に単位交換をすることになるようです。




私は今回の留学で、生まれて初めて一人で海外へ行きました。もともと少し臆病な性格ということもあり、事前準備は念入りにしたつもりでしたが、現実はかなり厳しいものでした。文字通り、笑いあり涙ありの約10か月でしたが、帰国した今思うことは「行ってよかった。」の一言だけです。

語りたいことは数えきれないほどありますが、このブログでは「行ってよかった。」に繋がった以下の2点について書かせていただきます。

その1、挫折経験が得られたこと、そしてそこから最終的に這い上がることができたこと

その2、背景にある文化の違いを乗り越えて同じ時間を共有した、かけがえのない友達ができたこと

まず、その1について。情けない話ですが、私の挫折の発端は「英語」でした。渡航前の私は、スピーキングに対しての不安はかなり大きかったものの、リスニングに関してはある程度の安心感を持っていました。なぜなら、中高生時代はもちろん、大学においても、この「教英」という、英語に触れる機会の多いところで学ばせていただいており、留学のために必要なTOEFL試験の勉強などにも一生懸命取り組んでいたからです。たとえうまく話せなくても、相手の言っていることさえわかれば、ボディランゲージや表情をうまく使うことでコミュニケーションをとることができるだろう。そのようにしてできた友達と日々を過ごす中で、スピーキングをゆっくり伸ばしていけたらいいな。と、考えていました。

しかし、いざ現地に到着し、空港ピックアップの大学職員の方とお会いした瞬間、自分の考えの甘さを思い知らされました。自分の知っている英語とは違う単語、発音、言い回し。何度も何度も聞き返し、ゆっくり話してもらってやっと、なんとなく意味がつかめる状況。結果として、渡航前に立てた計画が一瞬で崩れてしまい、初めての海外生活に対する楽しみな気持ちもモチベーションも、こんな状態で10か月も過ごせるのだろうかという不安に変わってしまったことを覚えています。その後も、英語に対する自信をすっかりなくしてしまい、コミュニケーションをとることが怖くて、人と挨拶以外の会話を交わすことから逃げてしまっていた時期や、もう私には無理だったのだと諦め、しっぽを丸めて帰ってしまおうかと本気で悩んだ時期もありました。



実際、現地の冬季長期休暇である7月には一時的に帰国し、一度身も心もリフレッシュしてからオーストラリアへ戻りました。一時帰国することについてはかなり迷いがありました。しかし私の場合、一時帰国前とその後で気持ちやモチベーションがかなり良い方向へ変化し、後半戦ほとんど悩むことなく全力疾走することができたため、いい選択だったと思っています。

このようにかつてないほど自分と向き合って日々を過ごすうちに、自分が今までいかに周りの環境に恵まれ、周りの人々に支えられていたのかを痛感し、ここで意地でも頑張りぬき、帰国後にこれまで出会った人々に恩返しをしたいと思うようになりました。

そう思えるようになってからは、この留学を自分の中でプロジェクト化し、最終目標「完全帰国までに日本にまだ帰りたくないという気持ちになる」に向けて、数か月に一度、自分のプラスの気持ちや思考を赤、マイナスを青と色分けすることで整理する時間を作り、生活していました。初めは真っ青だったページも、帰るころには真っ赤、、、とは言わないまでも、最終的に「また絶対にここに帰ってきたい」と心から思うことができるまでになりました。

挫折の発端であった英語に関しては、初心に返り、恥を捨て、ネイティブでいう幼稚園児くらいのレベルの英語で中高時代に学んだ文法や構文をフル活用することでコミュニケーションをとっていきました。3人以上になるとほとんど会話についていけなかった初めのころは、2人で会話できる機会を大事にして、不自然な言い回しや間違った単語を友達に直してもらっていました。

たまに「日本の学校の英語教育は使えないから無意味だ」なんて言葉を耳にしますが、私は、そのように言われている英語教育に救われました。確かにそのままだと自然には使えないかもしれないけれど、自然な英語を話せるようになるための最高の材料なのだと感じました。その材料をそのまま食べて美味しくないと感じるか、自分で努力して美味しく料理するかはその人次第なのではないかなと、思いました。





長くなりましたが、続いてその2、背景にある文化の違いを乗り越えて同じ時間を共有した、かけがえのない友達ができたことについて書いたのち、終わりへと繋ぎたいと思います。

上に述べたように、はじめはなかなかできなかった友達ですが、2人で話をする機会を積み重ねていくうちに、自然と距離が縮まっていきました。また、私の派遣先大学にはJapanese Speakers Clubという、日本が大好きで日本の文化や言葉を学びたいと思っている学生たちによって立ち上げられたサークルがありました。わたしは、そこで週に2回、日本語と日本ならではの文化や風習を教えるお手伝いをしていました。学ぶ内容は日本語と日本文化でしたが、使用言語は英語であったため、私自身の英語の練習をする本当に良い機会でした。自身が広島大学で4年間学んだ知識や、3年生の時に教育実習をさせていただいたときの学びを、少しですが活かせたこともまた、貴重な経験でした。

また、ご縁があって後期からクリスチャンのサークルにも顔を出していました。私自身はクリスチャンではないのですが、マネジメントやマーケティングの授業で宗教というトピックがよく扱われるのにもかかわらず、日本であまり馴染みがなかったため、勉強のために参加していました。オーストラリアは日本と比べると多民族国家であったため、そのような場でできた友達は国籍も文化も価値観もバラバラでした。それでも、ある時にはきれいな景色を見に出かけて共にはしゃいだり、ある時にはcontroversialなテーマで真剣に意見をぶつけ合ったり。そんな素敵な関係を築くことができました。私が「また絶対ここに帰ってきたい」と思えたのは、彼らのおかげです。

総じていうなれば、今まで生きてきた人生の中の最もどん底を経験し、最も自分と向き合い、最も成長できた、最高の留学でした。

これから長期の留学を迷っている方には、チャレンジしてみることを心からお勧めします。決して楽しいことばかりではないかもしれませんが、楽しくないからこそ得られる貴重なものが数えきれないほどあると思います。そして、留学の決断、準備段階はもちろん、留学中でも、何か困ったことや聞きたいことがあればいつでもご相談に乗りたいと考えております。

大変長くなりました。最後まで読んでくださってありがとうございました。








2016/12/29

クラーク博士のことばについて(教英OBの方からの情報提供)


先日の「翻訳あそび」の記事について、ある教英OBの方(峯野光善先生)から情報提供をいただきましたので、その方の了解を得た上で掲載します。

峯野先生は、ネット上に投稿するときには責任の所在を明確にするために匿名やハンドルネームではなく、実名で投稿すべきとお考えだそうですので匿名化しませんでした。


OB・OGの方々の期待に応えることができる、いや期待を超えた活躍ができる教英でありたいと思っています。

今後ともOB・OGの方々あるいは、教英に期待する一般の方々からの叱咤激励をお待ちしております。






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広大教英ブログをいつも楽しく、また、為になるなあと思いながら読んでいます。

ところで、12月15日配信の『自主勉強会「翻訳あそび」』の以下の記述について3点ほど気になるところがあったためにメールを差し上げる次第です。


「今回の課題はクラーク博士の有名な一節です。皆さんでしたらどう翻訳しますか?この一節は、クラーク博士が北海道を離れる際に、学生たちに駅のホームで述べたことばだそうです。」



1点目。クラーク博士が有名な言葉を発した場面。

「クラーク博士が北海道を離れたのは、1877年4月。その日、学生たちは札幌から24キロメートル離れた島松駅逓所まで博士を見送りに行きました。まだ、北海道に鉄道が敷設されていなかった時代、各所に駅逓所と呼ばれる人・馬のための駅があったのです。いよいよ別れの時――。博士は教え子たちと一人ひとりと固い握手をかわし、別れを告げます。そして馬上から、時代を切り開こうとする若者たちに「大志を抱け!」と言葉を投げ、励ましたのです。」


2点目。異なるテキストが存在すること。

"Boys, be ambitious!
       
Be ambitious not for money, not for selfish aggrandizement,
not for that evanescent thing which men call fame.
Be ambitious for knowledge, for righteousness,
and for the uplift of your people.
    Be ambitious for the attainment of all that a man ought to be."

1点目及び2点目は、近江誠(2005)『挑戦する英語!』(文藝春秋社)の12ページ及び13ページからの引用です。言葉を発した場面や、2点目の第3段落の部分を考慮に入れるとまた違った「翻訳」になるのではないでしょうか?


そして、3点目。

クラーク博士が札幌を去る時、本当に “Boys, be ambitious” で始まる言葉を言ったのかという疑問です。この点についてはおそらく、北海道大学附属図書館の「 “Boys, be ambitious!” について」が決定版であろうと思われます。結論を言えば、“Boys, be ambitious!”と言ったかもしれないが、それ以降の言葉は、後年になって様々な人が付け加えたものであるということになります。


以上、何かご参考になれば幸いです。

広大教英のますますの発展と教育の充実を願っています。



2016/12/23

光脳機能イメージング装置と視線計測装置のセミナーとデモンストレーションを行いました

日新精器株式会社様、島津製作所様、トビー・テクノロジー様にfNIRS(近赤外線を用いて大脳の活動をリアルタイムに観察する方法)による脳機能計測装置とアイトラッカー(眼球の動きを見る装置)のセミナーとデモンストレーションを開催していただきました。



まず、島津製作所様から、fNIRSの特徴と利点、測定原理、利用可能性について説明をしていただきました。



次に、実際に被験者の協力をいただいて、調査のデモンストレーションを行ってもらいました。今回は、英語の説明文、英語の詩、日本語の詩を使って、読解中のウェルニッケ野近辺(主に言葉の理解に関係するとされています)の活性状況と、視線の動きを計測しました。さらに、データ分析のデモンストレーションとして、これら3つの条件において、ウェルニッケ野の活性がどのように異なるのか簡単に解析してもらいました。




今回はリーディングをテーマにしましたが、このような研究方法は英語教育の様々な側面に利用できると思います。こうして英語教育はどんどんと学際的な学問領域になっています。


2016/12/22

「翻訳あそび」2回目です



以下、小野章先生からの寄稿です。前回に引き続き管理人も拙訳を加えました。

今回も皆さんご自身で翻訳をした上で下の翻訳を読み比べて「翻訳遊び」を楽しんでみませんか?



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原文



ながい たび,とおい たび,けれども, ぼくは,  
どこに いようと, きみを おもって いるでしょう。  
きみの だいじな しあわせを いつも いのって いるでしょう。

(『ないた あかおに』:あおおにが,あかおにに宛てて書いた手紙から引用)









翻訳


A
A journey long and far.
But I am thinking about you wherever I am.
I am praying for your dear happiness.



B
I don’t know how long I’ve been walking.
But I want to know how you are doing.
Wherever I am, whatever you do, I hope
your happiness with your best friends.



C
It will be a long going.
I will worry about whether you can get along with people, wherever I am.
I hope you can forever.



D
A long, winding road.
Wherever I go, I will never forget you.
Wishing my dearest a happiness, forever.



E
It is a long goodbye.
But, wherever you are, you are always in my thoughts.
I always hope you are happy.



F
Wherever I am and you are
I’ll never forget you.
If you’re with them happily
I’ll be glad of thinking of it.



G
In my long, long journey far, far away,
Missing your presence at any place,
Wishing your happiness in any way,
Me, without you, my most precious.






「翻訳あそび」2回目です。

12月22日(水)午後1~2時まで小野研究室で学部二年生有志と実施しました。

今回は『ないた あかおに』の最終部分の翻訳(英訳)です。


「おいしいおかし」と「おちゃ」を楽しみながらの,今回も「あっと言う間の1時間」(学生M君)でした。

翻訳後に出た感想もご紹介します。


・「原文の質が翻訳の質に反映する」
・「易しい英語にすることがこんなに難しいとは思わなかった」 
・「journeyとtripって,どう違うんだっけ?」 
・「映画のセリフで良いと思った “I’ll never forget you” を使ってみた」




2016/12/19

Dual Language Programmeなどのマレーシア教育事情を卒業生から聞きました


現在は予算措置が終わったのでなくなってしまいましたが、かつて教育学研究科にあった教員のための修士号獲得留学プログラムで私のもとで学んでいたマレーシアのRさんが久しぶりに広大キャンパスを訪れてくれました。

ひとしきりお互いの様子や世間話をした後は、Rさんがマレーシアの高校英語教師ということもあり、マレーシアと日本の教育事情に関する情報交換となりました。





話を聞いているとマレーシアの状況には日本の状況と似たところが多くありました。

・PISAテストでの国際ランキング比較により、政治家の方から矢継ぎ早に教育改革計画が打ち出されているが、教師の方はかえってそのための書類仕事などに追われて肝心の生徒と接する時間や授業準備する時間が削られている。

・それなのに教育予算は全体として削られている。

・(「モンスター・ペアレント」といったことばはないものの)教師に不平不満を激烈にぶつける保護者はいる(彼ら・彼女らのキメ台詞は "See you in court" 「裁判所で会いましょう」とのこと)。

・(マレーシアは旧英国植民地であり英語のテレビ放送も存在しているものの)国内で生活している限りは現在では特に英語は必要ではない。英語が必要か否かの認識については社会階層による違いが大きく、いわゆるエリート階層の保護者と子どもは英語学習に熱心だがその他の保護者と子どもはそうでもない。

・英語力測定についてはCEFRを統一基準として採択する方向で動いている。

・英語力が足りない英語教員については勤務時間後にBritisch Councilが主催する語学プログラムに参加しなくてはならない。(ただしその費用は国がもつ)。

また、マレーシアは2003年に小学校での算数と理科を英語で教える政策 (PPSMI) が採択されましたが、事実上の困難点が続出し、その政策を2012年に打ち切った過去があります。

しかし、現在は、一部の小中学校で算数・数学や理科、つまりはいわゆるSTEM -- Science, Technology, Engineering, and Mathematics -- 系の科目を(現地語ではなく)英語かマレー語で教えてもよいというプログラム (Dual Language Programme; DLP) がスタートしているそうです。

ただしその DLP を実行するためには、保護者の同意、校長と教員の同意と希望、必要な教材や設備などが整っていることが条件だそうです。


参考サイト
Malaysians Need The Dual Language Programme To Enhance English Proficiency In Schools, Experts Say
http://malaysiandigest.com/frontpage/282-main-tile/637949-malaysians-need-the-dual-language-programme-to-enhance-english-proficiency-in-schools-experts-say.html
Dual language programme to continue in national schools, says Education Ministry
http://www.themalaymailonline.com/malaysia/article/dual-language-programme-to-continue-in-national-schools-says-education-mini#sthash.iIlVngiQ.dpuf


小学校に英語学習を導入するにせよ、早急に全国一律にするのではなく、保護者と校長・教員がよく話し合った上でその学校の希望として行うこと、そして必要な教材や設備などが整っていることを確認することが大切だということをマレーシアは学んだようです。

「愚者は自らの経験から学び、賢者はこれまでの歴史から学ぶ」と言います。

日本はこのマレーシアの歴史から学ぶことはできるでしょうか・・・




2016/12/17

研究計画審査を振り返って(博士課程後期1年の加藤さんの手記)


以下は昨日(2016/12/16)博士論文計画審査(第一次審査)を終了した加藤さんの振り返りの文章です。




博士論文執筆は容易なことではありませんが、これほど学べる機会もありません。

ご興味をお持ちの方は、ぜひ自分が希望する教員と連絡を取ってください。



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この4月より柳瀬ゼミの門下生となりましたD1の加藤です。

私は東京でフルタイムの仕事をしながら、そして小学校1年生の男の子のママをしながらの博士号取得を目指しています。このようなタイミングで博士号をめざすなど、少し前までは想像もしていませんでした。しかし、師となってくださった先生との出会いがあり、思い切ってチャレンジをすることといたしました。指導教授、そして多くの先生方のご協力のもと、このようなスタイルで学ばせていただける広島大学に、心から感謝をしています。

さて、昨日、博士課程後期の第一関門といえる「研究計画審査」を受けさせていただきました。朝8時に子供を学校に送り出し、新幹線に飛び乗り、総移動時間は6時間。車中はもっぱらプレゼンのリハーサル。つい先日、学会で発表をしたばかりなのですが、審査となると、違った類の緊張感があります。

午後17時、指導教授の柳瀬先生および、O先生、S先生、F先生にお越しいただき、審査スタート。題目は「リフレクティブ・ダイアローグによる現職の自律学習アドバイザーとそのメンターの相互成長」。30分ほどで研究内容を発表。発表後、先生方から1人ずつ質問とご指摘をいただく。何をもって「相互成長」とするのか、その成長はどういった観点で判断するのか(二次観察の導入など)、そして相互成長を促す対話の中の「転換点」は必ずしも価値観を覆すだけのものではないことなど、今後研究を進めていく上で、大変貴重なご指摘とご意見をいただきました。先生方、本当にありがとうございました。

審査後、柳瀬先生と面談。今後の課題を明確にした後、終了。肩の荷が少しおりたところで、そのまま教英の忘年会へ直行しました。忘年会では学部生や院生の方とお話ができ、広大の学生は、本当にまっすぐでのびのびしている!という印象を持ちました。こんな素敵な仲間がいる広大に、私も何らかの貢献がしたい、とみなさんと話しながら強く思いました。これからも、たくさんの出会いが広大であることを楽しみにしています!




第二回教英学会統合会議において新学会の会則原案を作りました


本日、第二回目の教英学会統合会議を開催し、2018年度からの新学会の会則原案を作成しました。

年末の忙しい中に参集してくださった卒業生の先生方には感謝しかありません。




新学会でも、大学院生の学会発表に対する研究奨励金(国内5万円、国外10万円)といったこれまでの学会制度を維持しつつ、より社会に開かれた形で事業展開をし、英語教育の活性化に努めます。

教英は英語教育改善のための努力を怠りません。

「英語教育をよくしたい!」との志をもっている方々、ぜひ教英の学部・大学院で学び、共に英語教育改革に邁進しましょう!



教英忘年会 + 『惚れる力 ― カープ一筋50年。苑田スカウトの仕事術』


昨晩、毎年恒例の教英忘年会が開かれました。学部生と大学生と教員が集まっての大きなパーティです。これだけの人間のつながりが教英の宝だと思わされます。





パーティでは毎年お楽しみ企画としてプレゼント交換を行います。自分が引いたくじの番号に従い、誰かが買ってくれたプレゼント(メッセージカード付き)がもらえます。もらった人は贈り主に会いに行き、そこでまた新たな交流が生まれます。




管理人が選んだ今年のプレゼントは『惚れる力 ― カープ一筋50年。苑田スカウトの仕事術』です。パーティではうまく趣旨を説明できなかったので、この場を借りて説明します。






今年の25年ぶりのリーグ優勝で世間の注目を浴びましたが、もともと全国区の人気もなく、お金もない広島カープになぜいい選手が育つのか?

それは真面目な練習があるだけでなく、いいスカウトがいるからです。


カープのスカウト苑田聡彦氏は丁寧に全国を回り、有名無名にかかわらず「これは!」と思う選手がいたら徹底的にその選手を見守るそうです。練習姿をずっと見守ってもらう選手はやがて苑田スカウトからの視線を自らの能力を信じる心に換え、その才能を開花させてゆきます。


管理人は、これは教師が学ぶ姿勢だと思いました。世間の風評に惑わされず、才能を見抜く。認めた才能はずっと見守り、その成長を辛抱強く待つ・・・そうやってこそ人は伸びるのではないでしょうか。


教英もそうやって人を伸ばす集団でありたいと思います。




2016/12/15

自主勉強会「翻訳あそび」

先日 (12/14) の10:30-11:00に小野章先生の研究室で、学部2年生の発案による自主勉強会「翻訳あそび」が開催されました。みかんとチョコとコーヒーを楽しみながら、単位や授業とは関係なしに、翻訳の面白さに目覚めた学生有志がお互いに翻訳を試みる会です。

翻訳は、最近では悪者にされがちですが、英文を深く読み取り、その内容を英語を知らない日本人読者にどう表現したらわかってもらうかを考えるなかで英語を深く読み直す翻訳という営みは、英語と日本語の両方につながる優れた言語学習・言語使用です(このように創造的な「翻訳」は、機械的な「英文和訳」とは全く異なります)。

今回の課題はクラーク博士の有名な一節です。

皆さんでしたらどう翻訳しますか?この一節は、クラーク博士が北海道を離れる際に、学生たちに駅のホームで述べたことばだそうです。もしクラーク博士に達意の日本語が使えたのだとしたら、博士はどう言ったでしょう?

まずは皆さんで、考えてもらえますか?




Boys, be ambitious, not for money, not for selfish accomplishment, not for that evanescent thing which men call fame. Be ambitious for attainment of all that a man ought to be.








以下は、学生さんと小野先生の翻訳です(おまけに当日は参加できなかった管理人(柳瀬)も加えてみました)。中には「ここまで大胆に訳してしまっていいの?」というのもあるかもしれませんが、学生さんは全員英文の正確な意味は十分に理解した上で、敢えて実験的に以下のように訳してみたそうです。


翻訳を通じて英語と日本語の両方を往復しながら言語について考える営みを皆さんもしばしお楽しみください。

A
よく聞きたまえ。お金儲けとか,一人よがりな成功,奴らが名声と呼ぶものなど,風が吹けば飛んでいってしまうぞ。一人の男として為すべきことは何か。一つの妥協も許してはならぬぞ。若人よ,大志を抱くのだ。 
B
諸君,自分を愛するために行動したり,富,凡人の言うところの名声という不安定なものに固執してはいけない。人としてどうであるか,どうであったかを考えなさい。 
C
諸君,希望を持ち続けよ。富を得るためではない。自分だけが満足するような功績のためではない。まして名声などという儚いものを得るためでもない。(もう一度言おう。)諸君,希望を持ち続けよ。人間が追い求めるべき,あるいは追い求めなくてはならない理想を達成するために,諸君は希望を持ち続けなくてはならないのだ。 
D
少年よ,大志を抱け。金や自己の立身出世,うたかたの世評のような目前の目標にとらわれることなく,人としてあるべき姿を追い求めるという高尚な目的のために生きろ。 
E
己のために意味を成すものではなく,死に価値を見出される生き方を探求しなさい。 
F
若者の皆さん,夢を持ってください。でも,金や,私利私欲や,はかない名声のための夢ではありません。人が人としてあるべき姿を貫くための夢です。 
G
学生の皆さん、大きく求めてください。といっても金や我欲ではありません。名声ですらありません。それは消え行くものだからです。皆さんは、人としてあるべき人生を大きく求めてください。


2016/12/13

12/22 (木) 広島大学教育学部で光脳機能イメージング装置の現状と活用例 などについてのセミナーとデモンストレーション

9月に赴任した西原貴之先生の科研の関係で、下記のセミナーとデモンストレーションを行います。ご興味のある方はご自由にご参加ください。







以下は、西原先生からの簡単な説明です。


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この度、日新精器株式会社様、島津製作所様、トビー・テクノロジー様に、NIRS(近赤外線を用いて大脳の活動をリアルタイムに観察する方法)による脳機能計測装置とアイトラッカー(眼球の動きを見る装置)のセミナーとデモンストレーションを開催していただくことになりました。

最近では、大脳の活性状況や眼球の動きをもとにした英語教育研究も盛んになりつつあります。

英語教育には現在様々な研究があるんです!


12/16 (金) 16時から17時半まで 無料セミナー:日経新聞の読み解き方


以下、大学からの案内を転載します。大学生、高校生の皆さん、ぜひ新聞を毎日読んで、少しずつ自分の世界を広げる努力をしてください。世界が狭くなると怖いですよ。

以下は日経新聞のセミナーですが、新聞は複数読み比べて批判的に読み解いてください。




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「新聞なんて面倒くさい」「情報はスマホで見れば十分」-。そんなふうに考える人は多いでしょう。
新聞(40ページ)には新書5冊分の情報量があるといわれています。国内外の政治や経済、事件・事故から文化、科学、生活、スポーツのニュース・解説に至るまで、内容も多岐にわたっています。

これだけの情報が詰まって1部160円、500mlペットボトルのお茶1本と同じ値段です。手近な情報源をみすみす利用しない手はありません。

半面、「量が多すぎて、読み方がよく分からない」という声も耳にします。


今回、日本経済新聞社の協力で特別セミナー「目からウロコ!~NIKKEIの読み解き方」を開催することになりました。新聞というビッグデータから、「お宝」を掘り出してみませんか?

就活に備える方はもちろん、文章力やプレゼン力をアップさせたい学生・教職員の皆さんのご参加をお待ちしています。

【タイトル】特別セミナー「目からウロコ!~NIKKEIの読み解き方」

【日 時】 平成28年12月16 日(金) 16:00〜17:30
      
【場 所】 中央図書館1階ライブラリーホール
      
【内 容】 当日の日経新聞を配布し、経済データの読み方、
      記事の活用法などを学びます。
      
【講 師】 日経メディアプロモーション(株)公認読み方アドバイザー

【対 象】 ご興味のある方はどなたでも自由にご参加ください。

【備 考】 事前申し込み不要。無料です。

【主 催】 広島大学社会産学連携室広報部/広島大学図書館

【協 力】 日本経済新聞社



再び二重ループ学習 (double-loop learning) について


第四タームの新しい授業(学部3年生向けの「コミュニケーション能力と英語授業)の冒頭で、導入として人工知能 (AI) の進展や衆愚政治とSNSなどの話をして、考えることの大切さを訴えようとしました。



そういった話の一つに「二重ループ学習」 (double-loop learning)  を入れましたが、結構この話が心に残ったようで、授業の振り返りではこの話題が多かったです。



以下にその一部を掲載します。




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■ 今日の授業で最も印象深かったのは3つの学習方法に関する内容です。①与えられた前提をもとに行動計画を立てそれを実行したのちに結果を知るが、その過程からは何も学習することのない「ゼロ学習」、②すでに備えている考え方や行動の枠組みに従って問題解決を図っていく「単一ループ学習」、③既存の枠組みを捨てて新しい考え方や行動の枠組みを取り込む「二重ループ学習」です。
広島大学に入学し、これまでに約50種類の授業を履修してきました。振り返ってみると、残念ながら多くの授業で「ゼロ学習」をしていたように感じます。単位習得のために一時的に勉強し、テストが終わるとすぐに忘れてしまう…。このような学習は無駄であると分かっていながらもズルズルと授業を受け、単位を取得し、今に至ります。しかし自分の好きな分野においては単一ループ学習あるいは二重ループ学習が自然に出来ているように感じます。 
例えば、私が5歳の頃から今も続けているフィギュアスケートです。フィギュアスケートは頭の先から指先、足先まで、全ての部分をフル活用しながら4分間を滑りきる、肉体的にとてもハードなスポーツの1つです。持久力、筋力、体幹トレーニングは必須、その上少しの体重増加によりパフォーマンスに大きな影響が出ます。エディンバラに4ヶ月間留学していた時、氷上トレーニングが出来ない分、食事制限と過度な持久力トレーニング(1日16kmのランニング)により体重を減らすことがパフォーマンス維持に最適であると当時は考えていました。
帰国後ワクワクしながら4か月ぶりに氷上に立つと、あれだけ努力をしていたにも関わらず思うように体が動きませんでした。自分の体を車に例えると、ガソリン(体力)はあるけど車のボディー(筋力)が貧弱すぎて走れない(着地時に踏ん張れない)状況でした。私がパフォーマンス維持に最良の方法であると思っていたことが実は間違っていて、それプラス筋力トレーニングを行い、無理な食事制限をしなければよかったと大いに反省しました。その後私はそこで経験したことを活かしベストコンディションで試合に臨むことが出来ました。しかしさらにその後、ここまでストイックに考える必要はなかったのだと痛感しました。過度なトレーニングを行うことよりも、もっと楽しみ、リラックスして行うことが最も大切なことであると気が付きました。 
このように自分の好きな分野に関しては単一ループ学習や二重ループ学習を気付かないうちに行っています。大学の授業は生きていく上で無駄なものは1つもありません。今後はポジティブに考え、より積極的に授業に取り組んでいこうと、今日の授業で考え直すことが出来ました。


■ 二重ループ学習についてですが,この学習法を授業中に知った時に,私は「ああ,もっと早く知っておければなぁ」と少し後悔することがありました。SSH (Super Science High school) だった私の高校ではグループで何かしらの研究をしなければなりませんでした。私のグループではより効率の良い水車作りに関する研究をしていましたが,どうしてもうまく計測が出来ない問題にぶつかりました。何度も水量を調節したり,水路の見直しを行って調整したりしても水車の動きが不安定すぎて思ったように発電量が計測できません。 
結局その時は先生のアドバイスで水車自体の設計を一から見直し,ボールベアリングの導入や水車から発電装置(と言ってもただの小型モーターでしたが)の繋ぎ方を根本的に変えたりしてうまくいきました。この時は先生のアドバイスによって水車の設計を根本的に変えることによって研究がうまく進みました。水車の設計という前提を見直す発想が私にあったのならば,先生のアドバイスなしで研究を進めることができたはずでした。 
 今回の授業を通して再確認したことは,学校で教えたい本当のことは教科内容というよりも「社会でよりよく生きる術」を生徒に身につけてもらうことだということです。前述の水車に関する研究においても,先生が私たちに学んで欲しかったことは決してボールベアリングの摩擦係数でもグルーガンを用いた水路の補修でもなく,どうやって研究を進めていくか,もっと究極的にはどのようにして学んでいけばいいのかということであったように思います。 
特に高等学校の先生になると教科に関する高度な知識を有していて,それを生徒に教えることが主となってしまいそうですが,最も大事な目標はその教科を通じて生徒に生きる力を身につけてもらうことです。今回の授業で先生がおっしゃっていた学習方法に関することはそういう力に結びつくことであったと感じます。卒業までまだ時間はありますので,まずは自分の学習形態を見直していかなければいけないと痛感しました。


■ 電車の運転手・車掌、レジ係、新聞配達、ガソリンスタンド、参議院議員、専業主婦、交番の警察官、教員。さて、今私が列挙した職業は一体何でしょうか?これらは、オックスフォード大学の論文で「10~20年以内になくなる職業」として記載されていたものの一部です。私達が注目すべきは最後に挙げた教員でしょうか。 
私的な意見ですが、人工知能が人間の役割の代わりを果たすようになればなるほど、人と人との直接的なコミュニケーションの価値は上がっていくのではないかと思います。ですからここで言う、「人工知能に取って代わられるであろう教員」とは「単に知識の伝達しかできない教員」を指しているのではないかと思います。教員以外の仕事に関しても、私達の生活に極めて身近なものが無くなる可能性があるとされています。仕事のあり方が大きく変わりつつあるこの世の中で、その変化についていけず(あるいはその変化にすら気づかず)一方的に知識を与えることしかできない教員が生き残れないのは至極当然なのかもしれません。 
ただ、忘れてはいけないことは、現時点では人工知能は1を100にすることはできても0から1を作り出すことはできないということです。Amazonの倉庫で大活躍している機械も現時点では人間がいくつかのパターンやルートといったサンプルを与えない限り動きはしないのです。社会性・創造性・身体性がない職業は近い将来機械に取って代わられる、ということは裏を返せばそれらを必要とする仕事はまだ人間に任されているのです。 
教員になって社会性・創造性・身体性のある子どもを育てていきたいのなら、自分自身がそれらを有していなければ話になりません。人間の生活を豊かにするはずの人工知能が人間の職を奪い、人々の豊かな生活を蝕んでいる、と現代の科学の進歩を皮肉るのではなく自らがそういった社会でも生き抜けるほどにタフでありたいものです。 
 今回の授業で最初に触れたのはDouble-loop learning(二重ループ学習)でした。予習の段階では正直、「へー、そんな考え方もあるんだなぁ」としか思っていませんでしたが、授業で実際に「今までどのような二重ループ学習をしてきたか」を思い返してみて驚きました。私が「これは二重ループ学習だ!」と自信を持って言える経験は一つしかなかったからです。22年間生きてきてたった一回しか前提から何かを見直した経験がなかったのです。 
今回の授業の後半でも触れられたカントも「コペルニクス的転回」という言葉を口にしました。「天体が観察者の周囲を運行するのではなく、天体は静止し、その周りを観察者が運行する。」と主張したコペルニクスも、「そもそも」という点に着目し180°違った観点で物事を見たのだなと思います。そして、その考え方は確かに必要なものだったのだなと思います。ある意味では「前提を見直す」という行為は大変挑戦的なものであるように感じます。私は年を重ねるにつれて私自身がどんどん保守的になっているように感じています。まだ若いうちに行き詰まったら前提から見直してみる、という習慣を身に着けたいです。


■ 根本的な考え方を再検討し,再入力するという前提変更を取り入れた二重ループ学習は,自分のこれまでを振り返ってみても,「あ,あの時のあれは二重ループ学習だったんだ」とすぐに思い付きませんでした。なかなか思い当たる節がないということは,私が自分の思考や学習順序を構造的に紐解いた経験がないのか,そもそも二重ループ学習をしたことがないのか,もしかすると両方なのかもしれないと感じました。 
私たちは,前提を変更するときに,恐怖や不安を覚えます。特に,その新前提が,自分の知識にある,「前提と成り得るもの」の中にないとき(つまりは,新前提と成り得るものを,誰かがしていたと聞いたこともないし,もちろん自分でもしたことがないとき),その恐怖や不安は膨らみ,やっぱりやめておこう,となってしまうように思えます。「誰かがしていたと聞いたこともない」と前述しましたが,私たちは成功例を探し,それに安堵します。新前提を,有名なあの先生も授業に取り入れて成功していた,あの本に書いてあった,など保障を探してからでないとなかなか取り入れようという気になれません。教育実習で,教科書に取り入れられている活動がつまらないと感じた人が,自分なりにオリジナルの活動を考えに考えましたが,指導教官の先生に採用されることはなく,結局教科書の活動をそのまま取り入れると,なにもダメだしされることなく案が通った,という話を聞きました。教科書という教育現場では覆されないであろう前提に頼って,楽をしてしまう,考えることをやめてしまうこともあるようです。 
また,自戒を込めて言うと,前提が悪いのはわかっていても,そもそものアイデアがなく,どう変更したらよいかわからないこともしばしばあります。そのアイデアというものは,学校で教わったり,読書経験であったり,その他メディアなどから影響を受けて生み出されるもののように思えます。「考える」とはその様々なアイデアを統合したり,捨象したりなど試行錯誤が伴う行為のように思えますが,私たちほとんどが,「1600年には何が起こったでしょう」という質問に,「関ヶ原の戦い」と暗記したことを答えるというような方法でしか自分の知識や考えを試されてこなかったのではないでしょうか。授業でしたこと,先生が教えてくれたこと,テストで求められたことしかできないのです。そう考えると,教育の責任の大きさを改めて痛感し,今後生徒に教える立場に就こうとしている私たちは非常に重要な役割を担うことになる,と少々怖気づいてしまいました。



■ ダブルループラーニングという単語は初めて知りましたが、何か結果が出た際に自らの行動計画の前提に立ち返るという考え方は、自分としてはストンと落ちた気がします。自分は今までダブルループラーニングをしてきただろうか?と振り返ってみましたが、前提を変える、という大胆なアクションを自分が取っているはずもありませんでした。なるべくリスクの高いことはしないように、という意識が根付いているので今までの自分は単一ループ学習の繰り返しだったのかもしれません。何かに行き詰ったときに根本的なところを変えていこうとするのはとても勇気のいる行為ですが、失敗しないようなビジョンを見据えた上での前提変更、という賢い立ち回りができるように、「先を見据える力」は育てていきたいなと思いました。



■ 本講義ではいくつかの意見交換を行いましたが、その中で印象的だったのは「二重ループ学習」についての議論でした。自身が行ってきた二重ループ学習について考えるとき、先生に紹介されたとおり、私たちのグループでは「これまで私たちが変えることができた前提などあったのだろうか」「そもそも私たちが変えられる前提とはなんなのか」という考えに至りました。 
なぜそういう考えにまとまったかというのを改めて考えてみると、自分は基本的に与えられた環境(前提)を享受し、そこで自分が生きやすいように行動計画をして実行していくことはあっても、その環境に疑問を感じることがなかったからなのだと思います。また、自分がその環境を変えたつもりになっていても実際はだれかの影響、助言などがあるなど自分一人でそこまで至ったかと思うと正直怪しいものがたくさんあることも挙げられます。しかし、これから教師になるものとしてはそこにある環境をそのまま受け入れて収まるだけでは務まりません。何かの改善を図るためには前提を変える決心がとても重要になるというお話もあり、自分の受動的な姿勢を見直していきたいと思いました。


■ ゼロ学習と単一ループ学習とは異なり、二重ループ学習では、「前提」を変更することが加わる。前提はしばしば頭にこびり付いて離れない。自分で決定した前提というのは自分自身の経験や信念と深く繋がり合っているため、自分の思考や行動そのものをメタ認知できなければ、自らの経験から気付くということは容易にできるものではないと思う。前提から間違っていることを他人に指摘されることはあっても、自分ではなかなか気づけないのはそのためだ。



■ 今回の授業で印象的だったのはゼロ学習・ループ学習に関する話です。ゼロ学習・単一ループ学習からなかなか抜け出せず、進歩が無いまま伸び悩んでしまうという現象は教育現場に限らず様々な場面で見受けられると思います。とりわけ一定の成果をあげることができた場合には、その成果に満足してしまい、さらなる成果を得るために、ループの中に大きな変化を起こすことをためらってしまうことがあると思います。特にループの前提を変えることは単一ループの状態では安定していたものまで失う可能性が生じるため、勇気をもった決断が必要になります。私は、前提を変えることはある意味恐いことで、その発想を持つ段階にまで至らない人が少なくないという話を聞いて、確かにそうだと思いましたし、また前提を変える以前に、前提を疑うこと自体が大抵の人にとって難しいのではないかなと思いました。



■ 教師という立場から、文科省から出された指針や過去の研究に沿って、教授、評価をしていくのは仕方がないことだとは思います。しかし、そこですぐに正解に飛びついて思考をとめてしまってはAIと同じです。人としてできる「思考する、他人とそれをすり合わせる」ことをやめてしまってはいけません。常に問い続け、考えることが教師にも重要なことだと考えました。



■ 今、リッカ・パッカラ著の『フィンランドの教育力—なぜ、PISAで学力世界一になったのか―』という本を読んでいるのですが、フィンランドはPISAにおいて優秀な成績を残しているにも関わらず、国内ではそのことが話題にあがることはほとんどなかったと言います。文章を読む限り、フィンランドの教師は、PISAの結果を上げるためではなく、ただ一生懸命、出来るだけ多くのものを子どもたちに与えたいという思いで教師という仕事に喜びと誇りを持ちながら取り組んでいることがよく分かりました。 
その背景には、国民が皆厚い信頼を置く教師のレベルの高さというのもあると思います。フィンランドでは修士号を取得しなければ教師にはなれず、そのカリキュラムも非常に良く出来ていて、一年生の時から毎年教育実習があるそうです。さぞかしハードな学生生活なのだろう…と思いましたが、著者のリッカ・パッカラさんは、大学五年間の授業はとても楽しかった、と書かれています。その大変さよりも、学ぶことの楽しさ、教えることの喜びが勝る。教師としてあるべき姿勢を、大学生活の中でじっくりと養ってこられたことがとてもよく伝わってきます。 
 また、教師の先生方は日頃から「子どもに何かを与えるには、まず自分が豊かになる必要がある」と考えており、何らかのトレーニングを年に一度受けているそうです。例えば、コンピューターが各学校に導入された際には、授業を他の人に変わってもらいながら先生方はトレーニングを受けたそうです。これは、先生がおっしゃっていた、「教採に受かって教師になれるかどうかではなく、どんな教師になるかが大切だ」ということをフィンランドの教師のみなさんは常に考え、行動していることを物語っています。 
 誰もが教育は重要だと考え、教師のレベルの水準を上げ、誰でも無償で教育を受けることのできる環境を整えた結果、気づいたらPISAで一位をとっていた、という国と、PISAでの順位をあげるために小手先だけ教育内容を変えてきた、という国のどちらの未来が輝いているかは、一目瞭然だと思いました。


*****

先日は、学部一年生の感想を掲載しましたが、その感想と上の感想には違いがあるでしょうか?もし違いがあまりないとしたら、思考力や表現力などにおいて広島大学の教育が功を奏していないことになります。私としても、読み返してみたりして考えたいと思います。



関連記事

二重ループ学習についての学部一年生の感想
http://hirodaikyoei.blogspot.jp/2016/11/blog-post_16.html

ダブルループラーニング (double-loop learning 二重ループ学習)についての私的まとめ
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2016/11/double-loop-learning.html



2016/12/07

AO入試を受験してくれた皆さんへ


11月17日と18日に実施されたAO入試の結果が先日発表されました。

まずはAOで教英を受験してくださったすべての皆さんに感謝します。

皆さんの貴重な時間を使って教英で学ぶための準備と努力をしてくれてありがとうございました。
教英もその期待に応えられるよう(いや、その期待を超えた活躍ができるよう)、一層、教育と研究に力を注がなければならないと思いをあらたにしました。





合格通知を送ることができなかった皆さん、残念です。

いくら合格させたくても定員の関係でどうしても合格通知を送ることができないことがあることをご了解ください。
できれば前期入試で再チャレンジしてください。


合格通知が届いた皆さん、おめでとうございます。

教英で一緒に学びましょう。
まずは卒業までの高校生活を充実させてください。
友だちは入試に向けてますます集中力を上げていると思います。
そんな友だちに対して恥ずかしくないように高校生活を充実させてください。

そして、皆さんの知的感性を取り戻してください。


高校ではしばしば「大学に入ったら好きなことができるから、高校時代はひたすら我慢して勉強しろ」といった指導がなされることがあります。

しかしその結果、いざ大学に入ってみると「自分が何をやりたいのかわからない。というより、自分が何が好きなのかも実はわからない」という学生さんが少なくありません。

「勉強 = 面白くないことを我慢して暗記すること」といった誤った刷り込みに基づく毎日で、知的感性が損なわれてしまったからです。「これって何だろう?面白そう!」というワクワク感を抑圧し続けたあまり、知的な感性の高まりを自分で感じることができなくなったからです。

知的感性は、意欲や関心、そして学ぶ態度の根源です。この根源がやられてしまったら、面白くないまるで機械のような人間になりかねません(そして機械のような人間は今後、どんどん高度化する人工知能 (AI) にやがて取って代わられるだけになるのかもしれません)。


「学ぶことは楽しい!」 -- これが教育学部で皆さんに身につけてほしい実感です。


その教育学部での生活を始める前の3月までの時間をぜひ有効に使ってください。



TED Edはご存知ですか?

幼稚園児から高校生に至るまでの学習者のために作られた英語動画集です。
画面右下のCCというアイコンを押せば英語字幕も出ます。(英語字幕が出るとリスニングもずいぶん楽になりますよね)。



似たような趣旨のサイトにMITK12Videosがあります。

MIT(マサチューセッツ工科大学)が中心となって作成している若い学習者向けの英語動画集です。これにも英語字幕があります。





ぜひ英語で世界を広げてください。教英の先輩方が勧める動画もぜひ参考にしてください。


広大教英生がお薦めする英語動画集
http://kyoeivideoselection.blogspot.jp/


その他にもし助言が欲しかったら、ぜひ教英教員に連絡を取ってください。

学ぶ意欲のある若者を教英は大切にします。

教員への連絡方法は、教英のホームページを御覧ください。





2016/11/30

「アクティブラーニング」のような授業を経験した学部一年生の感想


先日、学部一年生向けの「英語教師のためのコンピュータ入門」という授業で、エクセルを使ってテスト得点を偏差値に変換することを扱いました。私の授業では、形式的な手続きだけを覚えて課題をこなすことはせずに、その課題の意味を考えさせ表現させることを常に重視しています。



今年からは180分授業になったこともあり、今回は私がそれなりに説明をして問いかけをした後の学生同士の話し合いと教え合いを以前にもまして充実させました。私は流行語になっている「アクティブラーニング」についてはあまり知りませんが、おそらくはそれに近い授業形式になったのかと思います。



以下は、その授業に対する学生さんの振り返りの一部です。肯定的な意見から批判的な意見まであります。授業を展開する際には、まずその第一の当事者である学習者に耳を傾けなければと改めて思わされました。




*****

■ アクティブラーニングの重要性はなんとなく分かっていたが、実際に体験してみるといつもの授業では体験しないような刺激を受けた。将来このような授業ができたら、英語を楽しいと思ってくれる生徒が一人でも増えてくれるのではないかと思った。

■ のっぽ度やぽっちゃり度を通してz得点について考えていく際は、アクティブラーニングの形となった。このようなことは、生徒同士で考え合い、教えあったりする方が、先生が一方的に知識を与えてくるよりも、気が楽だなあと感じた。(特にその分野が苦手な人は。)また、わかった時の達成感も生徒同士で分かち合えるから、楽しいと感じるのではないかと考えた。このように、生徒の楽しいと思う気持ちや協働することによって達成感を味わえるのが、アクティブラーニングのメリットなのではないかと思った。

■ ・・・そのあとにデータの分析をした。高校に習った記憶は忘却の彼方にいってしまったが、高校で習った時よりその本質を理解できたと思うし、何より楽しく学ぶことができた。先生も言われていたが、あれが”アクティブラーニング”であると知り、私もそういう授業を展開できるようになりたいと思った。教師として自分の知識をひけらかしたり、学習者と教師との間に概念的に差を設けて教える立場と教わる立場とするのではなく、どちらかというと教わる立場にいる人たちがともに学んでいくのを助ける立場になる授業があっても、それもまた良いのではないのかと思った。また、ここで得た知識をもとにしてデータの分析もちゃんとこなせるようになりたいと思う。

■ 標準偏差も分散も、偏差値も聞いたことはあるし、数学の授業で計算して出したこともあったけど、いざ言葉で説明しろと言われるとできませんでした。授業受けた後の今でも正しく教えることができるかと言われると、自信がないですが。わかった友だちに説明してもらっている間に理解できたと自分で思ってもそれを人に教えろと言われるとできませんでした。人に教えることの難しさというか、責任を感じました。自分が完璧でないのに人に教えていいものなのかと思ってずっと考えてました。理解が遅れたのは、高校時代に公式だけ覚えていた上っ面の知識だったからかなと思います。エクセルも関数使えばいいやと思っていたけれど、偏差値などは関数がなくて平均点や標準偏差を自分で出してからやらなきゃいけなかったりと、関数頼りなだけではダメだなと思った。

■ Excelで求めることができる様々な数値、それらを簡単に求められるようになるためにはその数値がどんな意味を持って、どんな用途で効果を発揮するのかを把握しておく必要があるのだと、この授業で感じた。今回は分散と標準偏差について皆で協力して考えたが、なかなか思うように議論が進まなかった。何となく答えはこうだろうというのはおそらく皆分かっていたのだが、それを言葉にすることがしばらくできなかった。少しずつ言葉を出し合って、これだという説明を一時は思いついて、先生に他のグループの人にも伝授してやってくれと頼まれたが、再び自分の言葉で説明することができなかった。人にものを教えるときは教える側がそのものをいろいろな角度から完璧に理解できていないと、説明しながら自分で分からなくなっていく恐れがある。もし自分の知識に自信を持てない教師が生徒を教えると、お互いに無理解が深まるのだと実感できた。まずはExcelについて人に教えられるレベルにならなければならない。

■ 今回は、Excelを使い偏差値を求めたり、標準偏差を求めたり、違うグラフにおける10という大きさの役割の違いを考えたりした。個人で考えた後、ペアワークをし、最終的にわかる人がわからない人に教えて、全体に広げるというアクティブラーニングだった。私は高校で覚えた標準偏差や分散の求め方をさっぱり忘れていて、ペアもお手上げ状態で手が止まっていた。しかし友達が教えに来てくれてなんとか理解することができた。やっぱり説明を聞いているだけでは身についておらず、実際に自分がやってみて初めて理解が深まるということが実感できた。でも実際にこのようなアクティブラーニングを中学校や高校の授業に取り入れるとなると時間がかかりすぎてしまうため、カリキュラムに追われている教師側からすれば導入しづらいんだろうと思う。なんとか時間をとってアクティブラーニングが学校の授業に導入できたら、全員が理解した状態で次の段階へ進むことができるのではないかと思った。

■ 今回の範囲はとても難しかった。高校で苦手だった数学は教英に入れば使わないだろうと思い、わからないところはそのままにしてきた。授業中の課題も正直に言うと、偏差値を出すのもエクセルに公式を打てば勝手に出してくれるし、わざわざ難しい理屈のようなものを考える必要がないと思ってしまった。知識の乏しい私にとって、話し合いをしても課題を理解することは難しかったが、一人だけではなく何人もが私に熱心に教えてくれ、グループワークの良さを実感した。一人で課題に取り組み挫折し時間が過ぎるのをただ待っていては時間と授業料の無駄である。完全に今回の授業の内容を理解することはできなかったが、教えてくれた人たちのおかげで少しは理解できたのでとても感謝している。

■ 私の立場と経験から想像して考えたことで、アクティブラーニングへの考えが自分なりに進んだことを以下に示す。

 今回の学習で特に印象的だったことのなかに、問題「ある集団において、『身長の大きさが平均より10(cm)大きい』ことと、『体重の値の大きさが平均より10(kg)大きい』、この『10(cm)』と『10(kg)』、仮にのっぽ度とぽっちゃり度とするなら、値が10増えたその程度は同じなのだ と言えるだろうか?」を素材にするアクティブラーニングの実践があった。

 そこで抱いた次の違和感から、以下のことを考えた。

 「自分の教え方が上手くない」と、「自分の頭がよくないからわからない」と感じると、もやもやして立ち止まってしまうのは私だけなのかな。

 生徒のアクティブラーニングを見守る教師の立場を意識しつつ考えると、授業においてはそのような「解決には至らない」あり方も可で、集団に任せ、教師がサポートをする働きをする活動全体で、「求めるアクティブラーニングの形」になっているのだろうか。

 アクティブラーニングにおいて、求められうる「成果」とはどのようなことなのだろうか。成果(「他の生徒の理解も進んだ」もしくは、「他の生徒の理解も『少しでも』進んだ」となるのだろうか)が生まれるか生まれないかはどの程度後においておくのだろうか。むしろ成果が生まれることに、教師ははじめからプラスの期待をもっておくのか。あくまで「生徒を信じる」スタンスをとっているのか。そのスタンスが無責任にも感じるのは、私自身のグループ学習での苦い経験からだろうか。アクティブラーニングにおいて、指導者(教師)に求められるあり方とはどのようなものか。

 自分の経験と、アクティブラーニングの実践の場面に居ての気づきから考えたこととして、やはりアクティブラーニングの際のグループ内での役割の偏りや、他者との比較をするなど個人のもつ考え方のような細かで複雑な状況の構成要素 などに起因する心理的負担(初歩的なグループ学習からつきものであると考える)に対してはサポート役の教師の役割は不可欠で、単なる生徒への丸投げは見過ごせないものだなとの考え方に気づいた。(この考え方をしないと、他者との学習・グループ学習などで辛さを感じる生徒の人格否定につながる。単に生徒自身がデリケートすぎる、弱すぎる、当然耐えていかないといけないこと(?)に耐えていくのは当たり前と生徒の感情を軽く扱う、のように)。
(中略)
 アクティブラーニングで扱う素材は、ある程度その理解を目標としたとき、目標達成されるべきこととして扱わなくても良いような、身につけることが義務のように言われない題材であることが大切なのではないだろうか。

 しかし学校現場で特に初歩的なアクティブラーニングの素材として扱う上では、生徒のやる気を引き起こす題材である必要から、ある程度、いわゆる身に付けておくべきことに関することでもある必要があるだろう。

 これらの兼ね合いの難しさから、K先生が授業「教育実習入門」での授業観察後日、討議時におっしゃったことを思い出す。「はたしてアクティブラーニングで扱う素材に、文法事項の学習プリントがふさわしいものであったのか(それがアクティブラーニングを成り立たせる要因の働きをしていたか、との言い換えができるだろうか)」。

 K先生のお話をうかがったときにはピンとこなかった事に対し、自分なりに少しでも近づけたかと感じ、高揚を抱いた。時や場を同じくせずに得た知識・経験・エピソードが、結びついていく感覚であった。これは私にとっての考える事のごほうびとなるような気持ちでもあり、自分の学びの原動力の一つを再確認ともなった。

*****

英国ウォリック大学のCatherine Prentice先生、教英訪問



 11月17日(木)、英国ウォリック大学のCatherine Prentice先生が教英を訪問され、学部1年生(28生)を対象に、来年(2017)年度のプログラムについてお話をされました。
 





 授業の合間を縫って昼休みの短い時間でしたが、ウォリック大学のプログラムの特徴や留学の心構えなどを話され、参加学生からも「少し英語が早かったけど、先輩から聞いたこととつながってうれしかった」などの声がありました。




 これまで担当されていたPaul Wilson先生、Rose Woodford先生に代わってCatherine先生がコースを引き継がれます。20年以上続いている本留学研修プログラムでは、教英生はホームスティ先からも評判がよく、来年春にも新2年生が参加することを期待しています。

(F)

9月着任の西原先生もかつてウォリック大学で学びました。


昼食会には名誉教授の三浦先生もお越しになりました。




2016/11/29

大学祭の教英チーフをやってくれたHY君の感想


先日、大学祭が行われましたが、その一部の教育学部祭 (E-storm) で教英のチーフをやってもらったHY君(学部一年生。通称「教英28(にーはち)」)に手記を書いてもらいました(HY君、ありがとう)。



複数の人々がかかわる社会的な経験を学生時代にやっておくことは決定的に重要です。HY君をはじめとした多くの教英貴重な学びをしたことを嬉しく思います。



このブログを読んでいる高校生の皆さんも、学校行事やクラブ行事あるいは学外行事などには積極的に取り組んでください。テスト勉強だけしかできないつまらない人にはならないでくださいね。




****

 今年の春に広島大学に入学してから、すでに7ヶ月が経過しようとしています。この7ヶ月は今までのどんな日々よりも経過の早いもので、多くの初めての経験に戸惑いながら毎日を過ごしてきました。

 そんな中、11月5・6日に広島大学大学祭が行われましたが、同日、教育学部でもE-stormと呼ばれる教育学部祭が開催されました。E-stormでは、ステージで出し物を披露するストーム杯、当日訪れる子ども達が楽しめるものを用意するEポイント、模擬店を出店するぐるめぐりの3つを学部一年生が中心となってコースごとに行います。

 僕は今回のE-stormで教英のぐるめぐりのチーフを務めました。ストーム杯とEポイントにも1人ずつチーフを決めて、それぞれのチーフ3人を中心に進めていきました。4月から教英では先輩方が中心となって準備してくださった行事が何度かあり参加していましたが、いざ自分達が中心となって動くとなるとわからないことばかりで全てが手探りの状態からから始まりました。しかし先輩方にアドバイスを求め、何より教英28のみんなで協力することで何とか乗り切ることができました。

僕はE-stormを通して、大勢で一つのことに取り組むことの大変さを感じました。

 一番初めの話し合いでは3つの部門それぞれのテーマ決めを行ったのですが、E-stormまで時間があったこともあり、なかなか意見が出そろわず話し合いがうまく進みませんでした。しかし一つ意見が出るとそれを皮切りに意見が出始め、教英では焼うどんを販売すると決めることができました。その時に感じたのが、ただ意見を求めるだけでなく積極的に自分から意見を出せばより話し合いを円滑に進めることができたのかなということでした。

 また、E-storm直前の買い出しや食材の仕入れなどの準備においても、大学の近くに住んでいる人たちの家を借りたり車を持っている人たちに運搬を手伝ってもらったりなど、みんなで協力することで乗り越えることができました。

 当日は、怪我をした人もおらず無事に終わることができました。みんなで声を出して宣伝したり店を回したりして、なかなかできない体験ができとても楽しかったです。また、事前にシフトを決めていたのですが、自分の自由時間を犠牲にしてまで店を手伝ってくれた人たちもいて、教英28のみんなをとても頼もしく思いました。

 E-stormのチーフを務めることで、なかなかできない貴重な体験ができましたし、自分自身とても楽しかったです。そして何よりこのE-stormを通して、教英28の仲がさらに深まったような気がします。E-storm最高でした!

2016/11/16

二重ループ学習についての学部一年生の感想


11/11-12に山口市で開催された全英連(全国英語教育研究団体連合会)に参加しました。全国各地から英語教師が集まる大きな大会ですが、教師としては多くの卒業生に会えるのが楽しみです。(みなさん、元気そうで何よりでした)。




管理人はある発表者の「指導助言者」として「二重ループ学習」といった概念について解説をしたのですが、

ダブルループラーニング (double-loop learning 二重ループ学習)
についての私的まとめ



その話を授業でも少ししたところ、学部一年生が感想を書いてくれました。

以下にそのごく一部を紹介します。

学生さんの多くは「こういった深い思考は授業の中ではほとんど経験したことがない。経験したことがあるとすればそれは部活だ」と言いますが、今年もそういった発言がみられたことは、教師としてよくよく考えなければならないことだと思わされます。



*****


■ ゼロ学習と単一ループ学習と二重ループ学習について、私はゼロ学習に満足していたと思いました。自分の中にある前提、例えば「これをしたら成績が上がるだろう」とか「みんながやっているからきっといいことなんだ」と勝手に決めつけているものをもとに計画を立てていました。そして、その計画通りまたは計画以上のことができたらそれに満足して納得してそこで終わっていました。

 私がこのまま教師になってしまえば、与えられた教材について考えることもせず、ただ授業をして生徒がそこそこの点数を取ってくれれば満足してしまう、そんな教師になってしまうと思います。しかし今回の授業を受け、修正することまたは正しいと思っていることまでも問いただしていかなければならないと思いました。

 これまでに、計画を立て、実行できなかった時に計画を修正することはあっても、自分が信じている根本的なものを疑ったことはありませんでした。なぜなら、最初から正しいと思っていることを疑って間違っていると断定することは困難でとても勇気がいることだからです。しかし、それができてこそ成長していくと思いました。


■ はじめに二重ループ学習についてであるが、正直私は、今まで元から定められた前提を疑うということを考えたことがなかった。この考え方を授業で学ばなければ将来きっと私は、上司(先輩の先生)から言われたことが正しいと思い込み(たとえそれが明らかに自分の考えと違っていても)、前提を疑う勇気を持てていなかっただろう。その前提が指導要領やもっと上から定められたものであれば尚更である。

 定められたものを変えるには多くの様々な知識や教養が必要だと思う。変えようと思っても自分に自信がなかったら躊躇してしまうし、前提を疑っても今度は自分の前提が間違っている可能性もある。しかし、前提を変えることを恐れてはいけないと思った。前提を変え、しばらくして自分が間違っていると気づいたらまたその前提を修正すればいい(またそこから試行錯誤していくことは簡単なことではないが)。そして、より良いものにしようと努力することが大切だと思った。

 前提を変えることは相当勇気のいることだと思う。だが、勇気を持たなければ何事も前進しないし、良い方向には向かっていかない。将来、単一ループ学習に陥らないように「根本を見直す」ということと、「前提を変える勇気を持つ」ということを忘れないでいたい。


■ 中学生の時、バレー部で毎日バレーノートをつけていました。その日の練習メニューやできたこと、できなかったこと、先生やチームメイトからのアドバイス等を記録し、次の日からの改善を図るためです。これは単一ループ学習に分類されると思います。

 二重ループ学習がバレーボールにあったかと考えると、やはりスタメンの移動やポジションの入れ替えが思い浮かびます。個々の技能を好プレーのためにどう改善していくのかではなく、そもそもそのポジションに向いているのか、前提を問い直した顧問の采配がなされていたと今は思います。また「なぜ自分がキャプテンなのか、もっと他にふさわしい人がいるのではないか」と直談判したことを思い出し、今まで二重ループ学習は自分はしたことはないと思っていましたが、もしかしたらあの時は無意識に、その入り口に立っていたのではないかと今になって思います。

 また、授業で説明を受けている時、ふと、にしき堂の「100回試みて1000回改めました」という生もみじのCMを思い出しました(広島ではよく流れます)。文字面のみ見ると、行動修正を繰り返した単一ループ学習のように見えますが、従来の餡とは異なるチーズクリームやチョコレートなどを使用した商品を展開しているところを見ると、二重ループ学習を取り入れたため、幅広いニーズに応え支持され続けることに成功したのではないかと思いました。

 単一ループ学習で終わらない(例えば、そもそも何のために学習するのか)前提を問い直して根本的な修正・工夫を行える教師になるために、まず学習者として自分の周囲でもっと改善・変革できるようなものはないかアンテナを張り続けていきます。



■ 単一ループ学習と二重ループ学習の話を聞いたのでそのことについての感想を書きたいと思います。この二重ループ学習の話は自分が非常に考えさせられるものでした。私は部活動で卓球をしているのですが、弱くて全然勝つことができません(そんなレベルならやめて勉強をした方がいいと言われれば、そうなのかもしれないと内心では思ってしまうレベルです)。

 そんな状況の中で自分のいまやろうとしているプレーは本当に正しいのか、求めているプレースタイルそのものが間違っているのではないかと思うことが多々あります。これは二重ループ学習に近いものなのではないかと思います。そしてもし自分のしていることが二重ループ学習の一種だとするならば、前提を変えるというのはなかなか難しい、決断に勇気がいる行為だと身を以て体験していることになるんだと思います。

 私は高校生の時に卓球のプレーに関し、前提を変えたことがあります。そしてそれはお世辞にも成功とは言いがたい部分もありました(成功した部分もありましたが)。先生は前提を変えて立てた(新たな前提)そのものが間違わないようにしなくてはいけないと仰っていましたが、これをするためには熟考に熟考を重ねなければいけず、時間をかけてすべきことなのだろうと思いました。


■ 今回の米大統領選においてトランプ氏が勝利したことに対して不安を口にしていた私たちに、先生は広い世界で見ると大きな変化はたくさん起こるし現に起こってきたとおっしゃられました。私は、例えば第二次世界大戦やソ連の崩壊、コンピュータ-の台頭といった世界中で起こった大きな変化を体験したり見たことはないのですが、そのせいか漠然と変化に対して怖いと思ってしまいます。永遠普遍のものはない、いつだって世界は時代や社会に応じて変化を続けてきた、そうわかっていても無償に変化を恐れてしまう私は保守派の人間だと思いました。

 世界的に大きな変化でなくても、例えば私たちの将来に大きく関わってくるこれからの英語教育の変革についても同様です。翻訳の点で言うと、人工知能の存在や、言語という観点から言うとグローバル言語としての英語の存在、これらがこれから変化する中で決して今と同じ状況ではいられなくなる英語教師はどうすればいいのか、頭を柔らかくして考えなければならないと思いました。

 その中で、前回紹介してくださった単一ループ学習、二重ループ学習のお話から前提を問い直すことという考え方が非常に印象に残りました。グローバリゼーション、異文化理解においては今縛られていることから自分を解放することはきわめて重要だと思います。また、大きく考えなくても自分が生きるうえでプラスになる考え方だと思いました。


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変化がますます激しくなることが予測されるこれからの時代を生きる若い世代を育てるために、私たち大学教員も常に自分の前提を問い直しながら教育・研究を行う必要性を再認識した次第です。




2016/11/03

現職教員の大学院生活


本日は休日ですが、大学院で学ぶ現職教員のための特別ゼミを開催しました。

現職教員の方が大学院生活を送るのは時間的に容易ではないのでこのような変則的なゼミ開催をしばしば行います。

今日は、三時間にわたってその現職教員の方による研究を教員とゼミ生で検討しました。

そのような検討の際に役立つのは、古いメディアである黒板です。



思考を視覚化して共有して、全員によるさらなる思考を促します。

下手にICTを使うより、このように原始的な方法の方が便利だったりします。

ともあれ、こういった協働的な学びは、参加者全員の力となってゆきます。

教員としても楽しい時間です。

2016/10/28

「ようこそ先輩」-昭和37年高外卒同期会の皆様、大学訪問


平成28年10月27日(木)午前10時、広島大学教育学部昭和37年高外(現 教英)卒同期会の皆様10名が,西条キャンパスを訪問されました。ご卒業以来、ほとんどの方が初めてのご訪問であったそうです。





学部玄関に置かれた教育学部の沿革表にあった旧校舎の写真を懐かしそうにご覧になり、また、新キャンパスの状況、第三類英語文化系コースの様子、英国留学研修などについて熱心に耳を傾けてくださいました。その後、構内を散策されて、卒業後54年を経た「母校訪問」で最後の同期会を終えられました。




これからもお元気で。また、いつまでも広島大学のサポーターでいてくださいますよう。

(F)

2016/10/26

One Look Dictionary Searchはお使いでしょうか?

皆さまはOne Look Dictionary Searchをお使いでしょうか?任意の単語を複数の辞書で一気に調べること(「串刺し検索」)ができる便利なサイトです。



One Look Dictionary Search



以下は、「英語教師のためのコンピュータ入門」でそのサイトを知った学部一年生の感想の一部です。


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■ OneLook Dictionary Searchには本当に驚いた。OneLook Dictionary Searchについては実際に購入したら何万円もする何種類もの辞書を無料で見比べられる。そしてそれをブックマークに登録していれば簡単に調べられる。この便利機能を知っていて利用しないことがあるだろうか、いやない。とことん活用しようと心に誓った。

■ いろいろな辞書を比較してみて、Merriam-Webster.comのSimple Definitionはとても見やすくわかりやすいものでしたが、現段階ではCollins English DictionaryとCambridge Advanced Learner's Dictionaryに惹かれます。複数の辞書で検索をかけて適切な表現を取捨選択することは、教員になっても継続されて求められることだと思うので今のうちにその練習をしっかりしておきたいと思いました。

■ 授業全体を通して、やはりパソコンは便利だなということを実感しました。Web辞書の便利さ、特にCambridge DictionaryとOxford Dictionaryが自分に合っているなと思いました。これまではWebページ上で分からない単語を見つけたら、その単語をコピーして新しくタブを開き貼り付けて検索していたけれども、分からない単語を見つけたらダブルクリックするだけで意味がわかる便利さを知った途端に、これまでの一連の作業がとても時間の無駄だったなと思いました。

■ オンラインの辞書はvocabulary.comがお気に入りであることに気づいた。この辞書のよいところは類義語の表記がブレインストーミングのように広がってなされている点である。日本語では分類が細かくされている言葉でも英語では一単語であらわされているように、英語にも日本語にはない表現があって使い分けたいときに便利だと思う。オンラインの辞書が非常に数多くあることを知らないまま教師になって紙や電子辞書を使いつ図ける将来を思うと、この授業で知ることができてよかった。

■ この授業を受けていて感じるのは、自分がPCを今まで全然使いこなせていなかったことを痛感するのと同時に、自分たちは学習するのにとても恵まれた環境・時代に生きていることを痛感します。そんな時代に生きているからこそ、甘えることなく積極的な学習姿勢が私たちには求められていると思います。

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英語を日本語を通じてでなく英語を通じて学ぶようになると、学習が急速に加速し広がり深まります。読者の皆さまももしまだでしたらOne Look Dictionary Searchをご活用ください。


2016/10/25

学部一年生が、面白いTED動画と英語読み物をブログで紹介しています


授業課題の一環で、学部一年生に自分が好きなTED動画と自分が読んだGR (Graded Readers 学習者用に編集された英語読み物)をブログで紹介させるようにしています。


広大教英生がお薦めする英語動画集

広大教英生がお薦めするGraded Readers


以下は、これらのブログ記事執筆を始めるにあたって一年生が書いた感想のごく一部です。英語教師の卵が、こういった課題をどうとらえているかという観点で読んでいただいても面白いのではないかと思います。一年生がこの初心を貫いてほしいと教師としては願っています。


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■ GR紹介、英語動画紹介の投稿においても、「人に面白いと思ってもらうには、面白いと思う感性が必要」との説明には頷く。まずは自分が感じずに、わくわく感を表現はできないだろう。わくわく感を表現できないにもかかわらず、発信相手にはその面白さが伝わるといったようなことは、少なくとも私には、なかなか想像が難しい。また、感じることに難しさがあると、「共感できる、人の気持ちを想像できる」ような、「教える」ことに必須なコミュニケーションのことに関しても、難しさが生まれてくる。

 先生が批判的に例としてあげた、教科書や問題集にしか接していない教師に関してだが、そのような先生から発信される英語というのは、言語という性質上英語が持つ「生きている」感じ、人の近くにあるような、なんだか近づいてみたいわくわくを起こさせるような「生き生き」感を伝えるものであるだろうか。私にはこの例が、その教師の (ここでは、英語の生き生きが生徒にも伝わることを当たり前のよいこととした場合の) 感性の足りなさ、乏しさを表すものと思える。「感性の足りなさ」が公教育という責任ある場にはどのような よくない影響 をもたらすのかということを想像させ、危機感を起こさせるものだった。

 私たちができる、目前のこととして、読書や、自分に向き合った主体的な学習があるのだろう。例えば自分の興味ある分野をじっくり考えて、そこを掘り下げ、その興味から多くのものに積極的に触れてゆくことで、自分の個性をより豊かなものにしていくこと(前回の動画課題の意図は、気づきやきっかけづくりでもあるのかなと思いました)。語彙をため、表現力を身につけ、発信の可能性をより豊かなものにしていくこと。

 特に英語教師には、自らの感性をはぐくむこと----この意味での「自ら学ぶこと」が要求されているのだと考えた。



■ 一般公開にふさわしい文章を書くことは社会に出ると必要不可欠なスキルだが、なかなか練習する機会はないと思う。かといって4年生になってから始めるというわけにはいかないので、自分に興味のあるトピックで今から練習できるのはうれしい。

またGR課題もそうだが、動画課題は単なる英語学習ではなく、教材が個人で選べるため学習しやすく、同時に自分の感性も広げることができる。加えて、他の人の文章をみることで他者の興味、関心、視点に刺激を受け触発され新たな考えを知ることができる。

 TEDの動画課題は教英生にとっても良い学習システムであるが、一般公開のため、一般の人にも良い学習教材になる。TEDは世界放送のため世界中の人々が様々な考えを、また社会の流れを知り、教養を深められ、世界というフィールドの中で知的な営みの流れを作りだせる取り組みだと思う。



■ ただ今回の課題で一番難しそうだと思ったのは動画の紹介文を書くことでした。自分のワクワク感を上手く相手に伝えるには自分の語彙力などは非常に乏しすぎると感じたからです。先生がおっしゃっていたように、日頃から読書等をして文章を書くための土台となる力をつけなければいけないと思いました。



■ 始業前に、以前生協で購入した岩波文庫の「君たちはどう生きるか」(吉野源三郎著)を読んでいたのですが、まともに教科書以外で本を読み始めたのは夏休みに入ってからです。(前期に課題・レポート以外で全く読まなかったのを反省しました。)小中校では朝読書の時間が設けられており、毎日本に触れていたのですが、卒業してからは時間があったにもかかわらず、めっきり読まなくなっていました。タイトルや表紙で嫌厭していたものもありましたが、いざ読んでみるとそんなに苦ではなく、始業前に読むと落ち着くと感じるようになりました。読書好きな人に比べると明らかに少ないと思いますが、まずは月一冊読み切ることを目標に少しずつ量を増やしていきたいです。


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これら二つのブログ(再掲)は一般読者の方が見ても面白いかと思っております。



広大教英生がお薦めする英語動画集

広大教英生がお薦めするGraded Readers



前者はTED動画で面白いものを見つけることに直接役立つでしょう。

後者はやや地味ですが、時々、「印象的な英語表現」を探す時に学生さんの感性が光ることがあります。

広大教英は、日本の英語教育の改善のために全力を尽くしています。

志のある方、ぜひ一緒に勉強しましょう。






2016/10/22

博士課程後期学生のための不定期ゼミを開催しました。


本日、管理人が担当するゼミ生のために「不定期ゼミ」を開催しました。



「不定期ゼミ」は、定期的に授業に出ることが困難な博士課程後期学生(博士号を取得することを目指している大学院生)のために管理人が不定期の日程で開催しているゼミです。

博士号を目指す人には、定職をもっている人が多くいます。そういった人は毎週の授業に出ることが困難なので、お互いにパソコン画面を見ながらのスカイプや携帯電話(かけ放題プラン)での指導をしていますが、やはり時には顔を合わせての議論が必要になります。

本日のような不定期ゼミはそのために開催しています。

本日は、準備が9時から、正式開始が10時からで、昼休み(みんなで蕎麦屋さんに行きました)を挟んで夕方5時までみっちりやりました。非常に充実した時間がもてたと自負しています。

これからもお互いに研究を助け合う文化や制度を充実させてゆきたいと思っています。

博士号取得をご希望の方は、自分が指導教員として選びたい教員に予めぜひ連絡をとってください。





2016/10/17

卒論中間発表会を開催しました。


本日、卒論中間発表会を開催しました。






卒論生もいよいよ追い込みです。

人に聞かせる・読ませるだけの価値がある知的分析を、人に楽しんで聞いてもらえる・読んでもらえるやり方で語り・書かなければなりません。

指導教員の立場からすれば、卒論をいいかげんに書かせたら学生さんは伸びませんが、きちんと鍛えたから学生さんの能力はぐっと伸びます。

多くの学生さんにとって、卒論は学校教育の最後の仕上げですから、それにふさわしくしっかり鍛えたいと教員としては思っています。

卒業予定者の皆さん、あと数ヶ月ですから覚悟を決めて、しっかりと卒論という試練を乗り越えてください。





2016/10/16

第一回学会統合検討委員会を開催しました

教英が中心的な役割を果たしている学会としては、これまで大学院修了生中心の「広島大学英語教育学会」と学部卒業生中心の「広島大学英語文化教育学会」の二つに別れていましたが、この夏に開かれたそれぞれの学会で両学会を統合することが正式に決定しました。

本日はその具体的な話し合いをするために、第一回の学会統合検討委員会を開催しました。




統合は、修了生・卒業生の皆さんがより活躍の場を広げることができるようにという目的を明確にした上で現在具体的な事柄を審議しています。本日の話し合いも3時間に及ぶとても実り豊かなものになりました。

英語教育界において、広大教英がどの大学・講座にも負けないのは、多くの修了生・卒業生が英語教師になっていることです。今後はこの強みをいっそう活用する仕組みを学会統合という形で作り上げたいと思っています。

修了生・卒業生の皆さん、統合後の学会を楽しみにしてください。







2016/10/12

「英語教師のためのコンピュータ入門」(教英の学部1年生対象)の授業感想の一部

以下は、先週の「英語教師のためのコンピュータ入門」(教英の学部1年生対象)の授業感想の一部です。


英語教師のためのコンピュータ入門
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2016/10/2016_4.html


先週は第一回の授業で、諸説明・諸連絡などもあり、あまり授業内容を進めることができませんでしたが、それでも以下の四つの記事を中心に考察と討議を行いました。


■ 自分が理解できないことに出会った時に
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2016/10/blog-post.html
■ 考える・調べる・尋ねる
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2009/04/blog-post_13.html
■ 井上智洋 (2016) 『人工知能と経済の未来』 (文春新書)
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2016/09/2016.html
■ 西垣通 (2016) 『ビッグデータと人工知能』 中公新書
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2016/10/2016.html

教英の授業に興味をお持ちの皆さん、どうぞ下の感想を読んでみてください。




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■ <この授業を受けて 記しておきたい大切だと思ったこと>

「 何かを学ぶとき、「つまらないなあ」ではない、柔軟な考え方をもって向き合うことが大切だ。だるだると「学ぶ」のは、きっと、しっかり自分で向き合っていることにはならない。(つまり、それが学びだとはいえない。)経験に対する準備を怠らず、絶えず経験を省み、考え、そこから学ぶ。絶えず学ぶことで、学び方・変わり方を習得していこう。そうすることによってまた、次の反省が生まれる。
 『学ぶことは人生である』とは、上記のとおりであると感じる。
 この授業では、コンピューターと英語で、コンピューターと英語によって、学ぶ。ここでの 学ぶ と一緒に、新たな発見をしながら、自然とコンピューターのスキルも、英語のスキルも磨かれていく。
 いうまでもなく、予習復習が大切である。」
 
 この授業では、触れる材料を通してなにか共通のメッセージを感じるように思う。クラスメイトの意見を聴き、みんなの新しい姿に触れる。興味深く、おもしろい!考え考え、自分で言語化していき、人にわかりやすいように、面白さが伝わるように発信できるようになりたい。この授業では、この練習がたくさんできる!授業づくりの大切な約束はしっかり守りつつ、自由に自由に、等身大に、考え考えしていこう。たくさん考えての失敗、これからのための失敗ならばよし!といったことを考えることができた。どちらかといえば、感じることができた かな、と思う。



■ 今回は初回の授業ということもあり、ガイダンスの時間があったわけだが、そこで先生のお話を聞いただけでも、夏休みをほぼサークル活動のみに費やし、休みボケをしていた自分に、英語を再び勉強する気をしっかり起こさせるのに充分だった。

  〜前半〜
 今回読んだ記事は「自分が理解出来ないことに出会った時に」「考える・調べる・尋ねる」ということだったが、私はこの二つの記事を通して「人に頼る勇気が必要である」ということを感じた。もちろん、できないからといってすぐに頼っているようでは人は成長しない。できないことに出会った時、自分に何が足りないのかを分析し、それを克服する努力をしていくことが大切であることは言うまでもないと思う。しかし、まだまだ学ぶことが多い学生には、どうしても限界が生じてしまうだろう。その時に、その問題を放っておくのではなく、人に頼って尋ね、自分の知識や見解を広げていくことも大事なことだと思った。

 〜後半〜
 僕自身が人工知能などのITに関して詳しく勉強しているわけでないので、自分の知りうる限りの知識で振り返りをしたいと思います。同じことを淡々と繰り返す機械的作業の効率に関しては、人間よりも機械の方が効率が良いと思う。現在、色々な仕事がどんどん機械に任されるようになってきていて、世界の産業はどんとん発展を遂げている。そうして機械が人間から仕事を奪っていった時に、機械にできない人間の強みを考えていかなければならないと思う。

 僕が現時点で思いつくのは、①予想外のことに対応できること②自ら進んで動けること③完全・完璧でないこと(人間味があること)である。 ①に関しては、基本的にコンピュータは事前にプログラムされたことしかできないため、プログラムされてない想定外のエラーが起きた時には、どうしても傍にいる人間の修正が必要になる。対して人間は、日常は想定外の連続であるし、想定外のことが起きた時に自分で対応策を考えて動くことが出来る。②に関しては、①にも通じることがあるが、プログラムしていたこと(人間ならば予定していたこと)が終わった時に、次に何をすべきか、何をすればいいかを、人間は考えて動くことが出来る。自律的に、積極的に動いていけるのも人間の強みだろう。③に関しては、少しピンポイントな話になるかもしれないが、絵画や音楽などの芸術は、完璧過ぎても人の心に響かないという説がある。そういった人間らしい芸術を作っていくことができるのは人間だけだろう。機械を有効に活用し、人間は人間の出来ることをして、上手く機械と共存していくことで世界はより良く改善していくのではないだろうかと思った。


■ まずこの授業に関して、自分自身の英語や教育に対する考え方に大きな影響をもたらす授業になるであろうと感じた。なぜなら、みんなが一つのテーマに対して考え、それぞれの意見を交換し合うことができるため自分のperspectiveを広げることができると感じたからだ。

 前半
「自分が理解できないことに出会ったときに」無関心になったり、怒りを抱いたり、冷静に問いを立てたりするといった例が挙げられていた。私はこれらに加えて不安感を抱くことがあるのと同時に、理解できない問題に対して一つずつ「なぜ?」と問いを立てていくうちに理解できないことが多いという事実に直面して余計に自信を無くしてしまう。しかし今回の授業を通して、それは自分自身の中で理解できないことへの劣等感というものを知らず知らずのうちに感じていたからだ、と気づくことができた。そしてその劣等感を払拭してさらに問い学び続けることがこれからの人生を形成する基盤となるということを学んだ。

 後半
「人工知能」に関して最も印象的だったのは、中学校や高校の教員は小学校の教員よりも人工知能に代替されやすいということだ。前期でM先生の教養ゼミで学んだが、なぜ人工知能に教職を奪われることが自分の中で望ましくないと思うのか未だ明確にはわからないけれど、そうならないために英語教師を目指すうえで英語を学ぶ意義や楽しさ(what to)をどのように(how to)生徒に伝えていくかをこれからもっと考えていかなければならないと実感した。


■ 達成感を得るためには自分で努力をする必要があると考えた。どう努力するかというのが、自分で「考える・調べる・尋ねる」ことによるものだ。学習している際に一番記憶に残っていると感じるのは、何事に対しても人や答えばかりに頼らず、まずは自分自身で考え、調べた時であった。たとえその際に、結局理解できなかったとしても自分で考えたことは忘れにくいものである。高校生の時、数学で三項間漸化式が何度やってもうまく答えが導き出せなかった時、数学の先生の解法を何度も真似をして似た問題を複数解いた。そのうちに解法の理解が深まり、応用問題まですらすら解けるようになった。自分で何度も考えていくことは、本当に重要だと思った。教師になった時、生徒たちが時間をかけてでも自分で考え、時には調べるという時間を十分にとるべきだと思った。それは授業時間に限らず家庭学習の時間も含めてだ。と同時に、生徒が質問しやすい環境・先生になるべきだと思った。


■  現在広島大学の茶道研究会に所属しているのだが、最初は入部したばかりにもかかわらず割り稽古も何かをしてほしいという指示もなかった。今でこそ言えるが、当初は高校生気分が抜けておらず、完全に受け身の姿勢でいた。茶道はお道具がたくさんあり、お稽古を始める前の掃除や準備で1時間ほどかかる。準備や後片付けの仕方をなぜ教えて下さらないのだろうと思いながら、他の1年生と部屋の隅に座っていた。しかし、目の前で先輩方が働いているのに何もしないわけにはいかないと思い、自分にできることがあるか訊いた。質問をすることで高校まで習ってきた茶道との違いを発見することにもつながったし1年生だけでも準備ができるようになった。私は人にわからないことを尋ねることにあまり抵抗はないが、たまに訊きすぎたなあと反省をすることがある。尋ねる前に自分で考え、調べる回数をもっと増やしていきたい。



■ 「自分が理解できないことに出会った時に」を読んで
 私は、(1)一切の努力を放棄し無関心になる、(2)不機嫌になり理解できないことに対して怒りをぶつける、(3)冷静に「どういうこと?(what is that?)」、「なぜ?(why is that?)」と問いを立てることは、人が理解できないことを理解するまでに経る過程ではないかと考えた。私は高校生の頃、数学が大の苦手であった。まず、私は理解できない問題に直面した時に「どうせ分からない」という気持ちが先に出てしまい、分かろうとする努力をせず考えることを放棄していた。そうするとできない自分に苛立ちはじめ、数学に対して怒りの気持ちを向けていた。しかし、気持ちを切り替え一度冷静になり考えてみると自分がなぜ分からないのか、この問題はどういうことを問うているのかと自問自答していくうちにその問題を理解し、数学と向き合うことができるようになった。このように、(1)から(3)全てのプロセスを階段のように踏んでいくことが大切なのだと思う。多くの人は(1)や(2)で止まってしまい理解できずに終わるのではないだろうか。また、(1)や(2)の経験がない人はもう一度冷静に考えてみようという(3)の気持ちも起こらないかもしれない。教育の視点から考えると、学習者が理解できないことに直面した時に(1)や(2)の段階で終わってしまわないように、また、(3)に自ら気付くことのできない学習者のために指導者が(3)へ導いていくことが大切だと思う。一度冷静に考えることを学ぶと、学習以外の場面でも理解できないことに直面した時に冷静に考える力がつくのではないだろうか。



■ 10月5日前半の授業では「自分が理解できないことに出会ったときに」と「考える・調べる・尋ねる」について学んだ。

 それについての記事を読む中で最も印象に残っていることは、「自分が理解できないことに出会ったときに」の反応の1つである(1)「一切の努力を放棄し無関心になる」である。自分自身、この反応を作り上げてしまったことがあるからだ。

 私は高校時代数学が苦手だった。初期の頃はなんとかして理解ができるように努力をしていたが、学年が上がり教師が代わって「できない者は置いていく」というような形式の授業になった。その時期から自分の中で急激に意欲が減っていったことを覚えている。頑張っても理解できず、やっと解けたと思ったらいつの間にか授業は3歩も4歩も進んでいる。スピードだけでなく問題の難易度もどんどん上がり、この先生とこの授業には付いていけないと感じた頃、自分は考えることを止めた。弁解するわけではないが、自分のように思考を放棄した生徒は他にもいた。

 その授業から全く離れた今になってできる限り客観的に考えた上で、この努力放棄を生み出したのはやはり前述した教師と授業形式だろう。できないなりに理解を諦めてなかった生徒を突き放していく授業、とは言い過ぎかもしれないが少なくとも生徒の意欲を剥ぎ取ってしまったのは確かだと思う。

 そして恐らく、そもそも初めから理解をしようとせず無関心な態度を取っていた者よりも、なんとかして努力していた(記事中(3)「冷静に問いを立てる」の反応をとっていた)が結果その努力を放棄してしまった者の方が、その後同じ問題に対する拒否感が強いのではないだろうか。「努力を尽くしても自分にはできない。だから取り組む意味はない」という考えを持ってしまうように思う。

 個人的ではあるが以上の経験から、生徒を伸ばす役目を持っているはずの教師が生徒に(1)の反応を覚えさせてしまう場合があると考える。授業中どなたかが「反応は(1)⇨(2)⇨(3)の順に変化していくのではないだろうか」と発言されていたが、自分のように逆に変化する可能性もたくさんあるのではないだろうか。

 この経験は自分自身が生徒であった頃の実体験であるため、この先教師になった場合慎重に思慮し続けなければいけないと思う。



■ 私が10月5日の授業で一番疑問に思ったのは、今の教育で果たして、いずれ来るであろうコンピューターの時代に人間が立ち向かえるのかということです。授業でも話しましたが、私は空港のレンタカーでバイトしているために外国の方と接する機会が多くあります。その中で感じた事は、今でこそバイトの同僚や、社員の方が外国の方とコミュニケーションが取れない時に、大学で英語の専攻だからと助けを求められますが、大方のことはコンピューターで対処できるということです。例えば、ナビゲーションシステムはワンタッチでいろいろな言語に切り替えられ、契約書や保険の案内などもワンクリックで多言語のものに変換できます。私たちがわからない言語の方がいらっしゃっても、コールセンターにより対応できるというものがあげられます。つまり、ここで言いたいのはコンピューターで大半のことがこなせる時代に、人間ができることは限られてくるということです。いつかコンピューターの時代がきて、ロボットの最低賃金が人間の最低賃金を下回ったとしても、人間を選ぶメリットはどこにあるのだろうと考えさせられました。それが思いつかない今の状況が一番いけないということにも気づかされました。



■ 今、人工知能の性能はどんどん発達しており、翻訳機能の正確性も向上を続けている。そんな中で、言語教育が目指すべきなのは、言語教育の本質や意義を教えることだと思う。文章にも述べられているように、1つの単語でも様々な意味、使い方がある。また、客観的数値では表せないものを、言語教育を通して掴むことができるのではないかと思う。それが何かは、まだ分からないし、1つと決まっていることもないと思うが、将来絶対に見つけたいと考える。

 人工知能などの機械と人間の違いについても、文章で述べられている。機械は、あらかじめプログラミングされていることに基づいて、動作する。アップデートも定期的にあり、最新の技術も備わっている。しかし、その機械の想定外・守備範囲外の事態が起きた場合、適切な対処は難しい。一方、人間は日々、1分1秒ごとにアップデートされている。We learn from reflecting on experience. と言われるように、自分が経験したことを省みて学ぶだけでなく、今自分がいる現実世界で、今自分が見ているもの聞いているもの触れているものからも学べる。そこから、新たな発見もできる。そこは、機械と人間の決定的な違いであると学んだ。

 今回の授業で4つの文章を読み、多くのことを学ぶことができたと同時に、自分がいかに何も考えずに生活しているか、無知であるのかを改めて痛感した。また、このままでは教師になる資格はないと思った。大学生活をより有意義なものに、将来に繋げるために、今自分ができることを継続していきたいと思う。もちろん、この授業も意欲的に取り組んで、様々なことを吸収していきたい。



■ 『人工知能と経済の未来』の記事を読んで

 人間には「心」があるが、機械には「心」はない。教育の観点から述べると、私は教育は学力を伸ばすことだけが目的なのではなく人の「心」を育てる場所であると思う。「心」が育たなければいくら計算ができていても知識を持っていても、将来会社で他人と協調性を持ちながら仕事をすることはできず、人の「心」に訴えるようなプレゼンテーションを行うことも不可能だと思う。また、旅行英会話程度は翻訳機が行ってくれるので学ぶ必要はないのではないかという文章があったが、私は旅行英会話は現地の人に道を聞いたり助けてもらったりするための単なる「道具」ではないと思う。旅行英会話も人と人とのコミュニケーションである。コミュニケーションは「頭」だけでは成立しない。言葉に感情が伴い、相手に伝わることではじめてコミュニケーションは成立するのだと思う。私が高校生の時は英語の授業のはじめに隣の人と会話をする時間があった。私だけでなく、クラスの誰もが話す内容とともにその時の気持ちが自然と表情に表れ、言葉だけでなく表情で自分の内側の気持ちまで相手に伝えようとしていた。したがって、私は、旅行先の人々が困っている観光客を助けようと会話をしている一方で、こちらは何も考えず機械を使い、こちらの感情は無であるという状況はおかしいと思う。もし私が観光客に道などを外国人観光客に聞かれ、一生懸命教えようとしているが相手は機械を使い、目を見ることや思考を巡らせながら頑張ってこちらに伝えようとする努力をしていなかったら寂しい気持ちになると思う。このような状況に陥らないために、私は英語教育は知識の習得への偏りや感情の伴わない会話の練習ではなく「心」を育て、「感情」を生かす授業へと進化していくべきだと考える


■ 人工知能関係の文章二つを読んで、教師という職がAIに取られてしまう事態が起こらないためには、どのような教師が求められるのか気になった。まず、現在の教師、特に英語教師の姿を見ると、英語を学ぶ授業というよりはセンター試験の英語の攻略法を学ぶ授業を行っているように感じる。実際に、私の通っていた高校は県内では進学校の部類に入り、受験勉強に重きを置いた授業を行う高校であった。しかし、そもそもセンター試験とは四択マーク形式のテストで、採点も機械が行っている。機械が採点するようなテストのためにわざわざ人間が英語を教える必要があるのだろうか。採点が機械なら教えるのも機械で十分ではないかと思う。したがって、これからの授業では英語を学ぶ、具体的に言えば本文に述べられていたように、人間の言語に特徴的な言語記号の意味解釈を広げていくような内容を学べるようにするべきだと感じた。加えて、AIにはできないことで人間の教師がするべきことがもう一つある。それは、先生と生徒間のコミュニケーションを大切にしたり、英語は楽しいのだということを生徒に感じさせたり共感させたりすることだ。


■ 人工知能に「代替可能」かもしれないとされている高校・中学校教師にできることは、生まれる利益や合理性だけではなくて、人間の固有性というか、人の感性 (言葉と密な関係であると考える) とそれにより生み出されたもの (言語文化もそうである) に価値を見出せるような人を育てることではないだろうか。つまり、生徒の感性を育てられる教育、教師である。そして、感情をもって個別の状況に対応できる人間の教師は、たとえBasic Incomeが必要により導入された「生かさず殺さず」の世だとしても、存在意義があるのではないか(人の感性が生き残っている限りだが)。

 私が学んでいるアクセシビリティの考え方も、これから社会に出ていく子供の感性をはぐくむ助けにはなれないだろうか。子供の感性(もちろん教師のものも)を育てるには、英語教師の視点だけではなく、複数の分野での協力が必要に感じる。これからも、(一見)他分野(に思えること)でも学習を深めて生かしていきたい。


■ <人工知能と経済の未来>

 人工知能やロボット等により、日本の労働人口の49%がとってかわられるかもしれないことや、代替可能性の低い職業の中に小学校が入っているが中学校教師・高校教師が入っていないことに少し恐怖を感じた。前期のパッケージの授業で「社会福祉と貧困」というものをとって、正規の職がなく日雇いで生活している人のドキュメンタリー番組を見たりや非正規雇用労働者数の推移を学んだ。現在の時点でも非正規労働者の数は多いと感じたのにさらに多くの人が失業してしまうとなると、日本の経済に大きな影響を与えるとともに、貧困の状態は家系で連鎖しその状態から抜け出せる確率が非常に低いことを学んだが、今言われている子供の貧困も負の連鎖として続いてしまうのでは枚かと考える。

 また、将来機械翻訳ができるようになることも遠くなく、「旅行用英語」などができれば、多言語の習得は必要なくなるかもしれないという意見に対して、自分の言語が通じないところで生きていくためには必要ないかもしれないが、生きていく中で自分の糧になるもの、例えば日本や日本語では得られない感覚や価値観など、をえるためには必要だと考える。授業内で隣の人と意見を言い合うときに、汎用型AIで英会話の練習をすることができるようになりそれから返事が返ってきたら怖く感じるという話になった。コミュニケーションするときは、言語だけでなく話す人のその場の心情も必要であり、コミュニケーションの楽しさといえば、自分の言ったことに対して、(コンピュータであれば状況に合わせた何通りかの決まった返事が返ってくるであろうが) 人間である相手は、自分が予想もしなかったことを返してくることがあることではないだろうか。



■ 「西垣通(2016)「ビッグデータと人工知能」中公新書」について

ここではまとまりなく、箇条書き的に書く。

・もしもIT化が進んで1つの業務まるまるAIが行うようになったとして、そのAIが重大なミスをした場合、その責任の所在はどこにあるのだろうか。

・汎用AIは人間の脳を元に作られているとのことだが、AIの情報量のほうが多いし成長速度もより速いだろう。人間は他の民族、他の宗教、他の人種を疎んじ、自らがより優位だと考えがちで、場合によってはそれが原因で争ったりするものである。そんな人間の脳を元にしてつくられたAIが同じような発想に至ったら....と妄想してしまう。

・自分たちがより機械的な人間になってしまうかもしれないことに危機意識を持つことも必要だが、AIがより人間的になることにも注意すべきだと思う。柳瀬先生は、芸術、文学方面のものは人間特有のものである、という意見であったが、私は大衆的な絵や文学ならAIでもつくれるのではないかと思う。もうすでにビッグデータを通してAIは人間に受けるものはなにかを把握し始めているし、死んだ人の人格をその手紙の文章などから再現するデジタルクローンが開発されつつあるなど、より人間に近づいてきている。

・AIが科学や文学など新しいものを生み出す力を持つかもしれない。その時に人間の存在意義はどこにあるだろうか。

・機械の論理空間が限定的で、人間の論理空間は書き換え可能な無限のものということには納得がいかなかったが、人間は現在の時点で生きているもので、機械は過去に囚われているものだ、という説明は面白いと思った。人間はいつか死ぬし、(自己啓発本に書いてありそうなことだが)人生は1度きりである。そのため常に現在に判断の重点が置かれる。また、人間は忘れることができる(私はそれにたびたび悩まされます…)。そのため過去に囚われすぎることがない。その一方で、機械には(部品の消耗はあるものの)永遠の命があり、過去の出来事を完全に記憶している。そのため現在に対してそこまで執着心がない。

・人間は本当にオートポイエティック・システムといえるだろうか。生まれる前に遺伝子の情報から大体の姿かたちが決まり、生まれた後は必ず近くにある環境から影響を受け、多くの社会にいる子供は言語を通じて教育を受ける。自ら能動的に動くといってもその範囲はかなり制限されているように思える。

・コンピュータ採点による試験は人間性をみれないからだめだという意見があったが、センター試験レベルでの試験ではコンピュータ採点のほうが手間的にも公正さ的にも妥当だと思う。ただ、コンピュータ採点の試験で人間性を見るのは間違っていると思う。

・機械やAIは人がより生きやすくなるためのツールであるはずで、それがより効率的に有用にはたらくことはよいことのはず...である。





2016/10/11

グローバル教育推進室が英語の相談にのります



この10月から教育学研究科・教育学部では、「グローバル教育推進室」が開室し、学生や教職員が英語で研究などの発表をする際の相談を受けることになりました。

詳しくは下のチラシをダウンロードして読んで下さい。




広島大学教育学研究科・教育学部は、活躍の場を広げようとする人を応援しています。

広大教育学部で、どんどん世界を広げましょう!




2016/10/04

昼読再開 + ハリー・ポッター仏語版を読んだ学部4年生の感想



2015年度後期から始めました昼休みの自主的読書運動である「昼読」を今期も継続します。




方針は基本的に前期と同じです。以下は「昼読」の基本理念です。



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あなたが使うことば ― これがあなたの人格を形成します。
あなたの人間関係も、あなたが生きる社会も形成します。

ことばを豊かに丁寧に使うことによって、あなたの平安がもたらされます。あなたの仲間の平安も、あなたの社会の平安も。

粗雑で無思慮なことばは、あなたをかき乱してしまいます。あなたの仲間も、あなたの社会も。


「昼読」とは昼休みに集まって、それぞれが持ってきた本を静かに読む時間を共有する場です。少々行儀は悪いですが、お昼ごはんを食べながら本を読んでもかまいません。読書の文化を根づかせるために行っています。広大の構成員(学生・教職員)なら誰でも歓迎します。

授業期間中の月・水・金の昼休みに行います(ただし初回は10/3とします)。一応12:05-12:45という時間帯を設定しますが、皆さんぞれの都合があるでしょうから、遅刻や早退はまったく問題ありません。場所は教育学部のA棟2階のA212(英語教育学演習室。英語教育学図書室の隣)です。

日本語で書かれた純文学や娯楽小説、あるいはノンフィクションや自然科学の啓蒙書、はてまた新聞でもかまいません。英語ならGraded Readersでも普通のペーパーバックでもかまいません。第二外国語の読本や参考書・問題集も歓迎します(第二外国語の習得はなかなか進まないものですから、第二(あるいは第三・第四・・・)外国語の場合は、自発的に選んだ参考書や問題集を読むことも認めることにしましょう)

ただし自由な読書文化を促進させるための試みですので、必要に迫られての授業の予習などは歓迎しません。あくまで自主的・自発的に選んだ本をもってきてください。

昼読の最後の五分では、その日の読書の感想を周りの人と共有します。その語り合いで私たちの世界が広がることを期待しています。

書物のことばは、(質の悪い例外を除けば)練りに練られたものです。SNSなどで刹那的あるいは衝動的なことば遣いが横行する現在、読書文化を守り、育ててゆきましょう。読書で培われた思慮深いことば遣いこそが近代社会の基礎となると私は信じて疑いません。



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この記事掲載に伴い、前期に熱心に昼読に参加してくれて、ハリー・ポッターの第一巻をフランス語で完読した学部4年生のM君の振り返りを掲載します。この振り返りは8月5日に完成していたものですが、私が、ドイツ語暗唱を続けてくれた学部3年生Tさんの感想と併せてブログ掲載しようと欲張っていたので、掲載が今日まで遅れました(Tさんは現在ドイツの大学に留学しています)。




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“Harry”を「アリー」と読む言語での読書体験


2016年8月5日
学部4年 MY

 今からちょうど2年前、私はパリの中心部から少し離れた通りの、ある書店にいました。数か月間のイギリス留学を終えて、帰国前に友人とフランスに寄って観光しようということで、数日間ですがパリに滞在していました。街を散策中、留学前からフランスで購入したいと考えていた書籍があったため、いくつか書店を覗きながら歩き、お目当ての本を見つけました。 Harry Potter a L’ecole Des Sorciers-言わずと知れたベストセラー、『ハリー・ポッターと賢者の石』のフランス語翻訳版でした。

 一年生のころに第二外国語の授業でフランス語に触れ、興味を抱いたため独学ながら今も学習を進めていますが、パリに滞在した当時はまだフランス語歴(?)も一年ほどで、もちろんハリー・ポッターをフランス語で読める仏語力は全くありませんでした。知っていたことといえば、 “Harry”をフランス語で発音すると、 “h”の音がもともと発音されないため、「アリー」となってしまうことくらいでした(笑)。映画を見ていたこと、そして英語の原文で読んでいた経験はあったものの、それでは太刀打ちできない言語の壁を感じました。実際、半ばお土産として、フランスに来た記念として買ったようなところがあり、案の定帰国後は部屋の本棚にオブジェとしておかれることに。しかし、買っただけで読まないのはやはりもったいないという思いがあり、何とかこの本をフランス語で読むために学習を続けました。

 それから一年半ほどたって、私は教英で柳瀬先生と大学院生の方が主催している読書会(「昼読」)に参加させていただくようになりました。各人が読みたい本をなんでも持ち寄って読もうということでしたので、私は前々から読みたかったハリー・ポッターの仏語版にチャレンジしてみることにしました。柳瀬先生や大学院生の方がドイツ語の本を読まれていましたので、自分も変な対抗心を燃やし(笑)、何とか読んでやろうと、辞書を片手に読書会に通いました。

 最初は1ページ読むのに何十分もかかったりと、かなりゆっくりとしたペースで読んでいました。ただでさえフランス語ということで知らない単語だらけでしたし、加えてハリー・ポッターならではの、魔法使いの世界に関連する語句が多く見られました。1ページに何度も何度も辞書を引くこともありました。しかし、そのようにして読んでいく中で、徐々に読む速度も上がり、時には英語の原文との比較にも注目できるようになりました。「フランス語で読んでるぞ」という(良い意味で)妙な高揚感がモチベーションにもなり、エンディングまで読みきることを目標に、読書会への参加を続けました。

 そうしたフランス語との格闘を続けることさらに半年、先月末にようやく『賢者の石』をフランス語で読み切ることができました。もちろん、細かい文法の用法や文学的な工夫などを理解するためにはまだまだ勉強不足です。しかし、一冊の作品をフランス語で読む、という体験は目で見て分かる証拠として、私の今までの学習を保証してくれている気がします。もともと物語を読むことが大好きで、このこともモチベーション維持に一役買ってくれました。はじめて読んだフランス語書籍が、自分の好きなハリー・ポッターで良かったと思っています。

 また、英語教育を専門として学んでいることとの関連でも少し発見がありました。英語教育の現場には、私のようにある程度英語が得意だったり、得意とまではいかなくても英語が好きである、といった生徒さんばかりがいるわけではありません。また、英語を学びたての頃は誰しも、単語を一つ覚えるにも時間がかかるものです。しかし、今英語教育を専門に大学で学んでいると、そうした学び初めの頃の記憶、苦労して学んだ記憶が薄れてしまっているように感じます。それは私だけでなく、クラスメートの学生、さらには先生方にもやはり共通することだと思います。もともと英語が苦手だったのが後に好きになったという人も中にはいますが、そうでない人がほとんどです。

 こうした記憶を忘れさらないためには、学習者の気持ちが分かるようになるためにはどうしたら良いのでしょうか。その一つの方法として、私は第二外国語学習があると考えています。もちろん、語学学習が好きという点は学習に有利に働きますが、学習の初期段階ではスタートラインは同じはずです。第二外国語のあいさつを覚えたり、自己紹介したりすることを覚えるはずです。そのプロセス自体は第一外国語でも第二外国語でも大きくは変わらないでしょう。そうした学習経験を再体験するためにも、第二外国語学習は非常に重要です。私は学生ということもあり、専門分野の他に第二外国語を学ぶための時間もたっぷりあると感じています。大学にいるときにできることをしておきたいですね。

 「第二外国語」というと、「でもやっぱり今は英語の時代」と思われる方もいるかもしれません。しかし、英語も他の外国語も同じ言語、本質的に優劣はありません。それぞれの外国語を学ぶことには等しく価値があります。私自身、これからもフランス語の学習を続けていきたいと思います。とりあえずの目標は、ハリー・ポッターシリーズを全巻フランス語で読破することです。その後は、前々から個人的に興味のあるフランス現代思想家たちの著作を、フランス語の原文で読み解くためにフランス語の読書力をつけていきたいと考えています。


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広大の学生・教職員の皆さん、ぜひ「昼読」にご参加ください!




関連記事

前期の昼読を終えて(学部4年生M君の感想)
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2016/08/4m.html

2016年度も月・水・金に「昼読」を行います
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2016/03/2016.html

月・水・金の昼休みに「昼読」を始めます。英語・日本語文学・第二外国語での読書会です。
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2015/09/blog-post_29.html




2016/09/30

STARTプログラムを利用して二週間オーストラリアに滞在したYさんの感想

学部一年生のYさんが、STARTプログラムの感想を書いてくれました。






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 私は今回、STARTプログラムを利用して二週間オーストラリアに行きました。今まで海外に行ったことがなかったので一度行ってみたい、また少しでも自分の英語力を向上させたいという単純な理由で応募しましたが、この二週間、本当に充実した日々を送ることができました。

 私たちはアデレードのフリンダース大学で勉強しました。毎日の授業では、グループミーティングで友達と積極的に英語を話したり、オーストラリアの歴史、教育、環境、諸問題などを学んだりしました。他にも小学校での日本文化紹介や、グループ発表のために現地の学生にインタビューもしました。一泊二日のカンガルー島研修ではオーストラリアの大自然を感じ、とても良い思い出になりました。

 また、この期間はホームステイをしてホストファミリーと一緒に生活しました。初めは緊張して上手く話せませんでしたが、次第に仲良くなり、たくさん会話したり、一緒に出かけたり、テレビを一緒に見たりして本当に楽しかったので、最終日、別れるのはとても寂しかったです。
 
 二週間という期間は、英語力向上のためには短すぎる期間ですが、仲間と協力し合うこと、現地の方のように自分から積極的に話したり行動したりすることの重要さなど、たくさんのことを学びました。このプログラムに共に参加したメンバー、先生方、現地の先生やスタッフ、ホストファミリー、全ての方々に感謝しています。この経験を糧にこれからも勉学に励みたいと思います。


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自分の視野を広げるということ、思い込みを崩すということは大切ですね。
海外体験でもなんでもいいですから、自分の世界を広げましょう。


2016/09/28

修士論文中間発表会を開催しました。


本日、修士論文中間発表会が開催されました。

今年度末の修了を予定している院生はこれからが正念場となります。



論文を完成させることは正直、容易なことではありません。

第三者を学術的に説得できるだけの文章を書き上げなければなりません。

自分が知っていることを自分が書きたいように書くのではなく、第三者が知りたいと思われることを第三者が読みたいように書く必要があります。

これは知的な想像力と忍耐力を必要とされる作業ですが、この試練をくぐり抜けることにより、自分を客観化(あるいは相対化)して捉えられる力がつきます。

さまざまな人々が様々な価値観で衝突する現代グローバル社会において、自分を絶対視することなく客観視した上で自分の主張ができる力は重要になっています。

きちんとした知的訓練を受けたい人は、まず現在できること(その第一は自主的な読書)を着実に行った上で、どうぞ大学院を受験してください。



2016/09/27

インドネシアでのSTARTプログラム体験記

学部1年生のAさんがこの夏に広大の留学奨励プログラム (START) でインドネシアに滞在しました。以下は、その簡単な報告です。





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  私は今年の8月にSTARTプログラムを利用して2週間インドネシアに行ってきました。私がインドネシアのSTARTプログラムに参加しようと思ったのは今まであまり触れたことがない東南アジアの文化や習慣、そして教育について学びたいと思ったからです。また、STARTプログラムの一連の活動を通して自分を精神面でも知識面でも成長させたいと思ったのも理由の1つです。

  まずインドネシアに行く前から事前研修でその国についてのあるテーマを決めて発表したり教えあったりする機会がありました。このような事前研修のおかげで研修中の理解が深まり、よりインドネシアについて知ることができたと思います。

   渡航中はブラヴィジャヤ大学でインドネシアの言語、文化、政治経済、環境、食品加工などについての講義を受け、バティックやトペンマランという伝統的な文化を実際に体験したり、二泊三日で農村にホームステイに行ったりしました。他にも小学校訪問や現地の大学生との交流を通してインドネシアと日本との違いなどを新たに発見することができました。失敗もありましたが、そのたびに自分で考えて行動し、自分を成長させることができたと思います。

   準備してくださった先生方や現地のスタッフ、学生など多くの方の協力のおかげで有意義で充実した留学となりました。感謝の気持ちを忘れずこのSTARTプログラムで学んだことをこれからの学生生活に生かしていきたいです。

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若い時に世界を広げるというのはいいことだと思います。機会に恵まれたら海外体験で、恵まれなかったら読書で世界を広げましょう!(管理人が若かった頃はもっぱら後者でしたが、それは貴重な体験でした)。

卒業論文中間発表会を開催しました!

すっかり時間が経ってしまいましたが、先月 4 年生の 卒業論文中間発表会を開催しました。今年度もみんなが独創的な研究に取り組んでいます。中間発表会には 3 年生も参加しました。質疑応答は基本的に学生同士が行いました。大変、有意義な時間となりました。   【管理人のゼミ生の...