2017/12/27

広島大学の広報誌 HU-plus に、こうの史代さん(『この世界の片隅に』)が登場



広島大学の広報誌 HU-plusの最新号をここから閲覧することができます。形式はデジタルブックかPDFファイルです。



今回の号は、『この世界の片隅に』で一躍有名になった漫画家のこうの史代さん(広島大学理学部1987年入学)のインタビューを掲載しています。




昔からこうのさんの漫画のファンであった管理人としては、広大広報誌がようやく彼女のことを取り上げてくれて嬉しい限りです。

平和を考える教材として、彼女の作品はすばらしいのではないでしょうか。


2017/12/25

活躍している卒業生の先輩として、広大教英は胡子美由紀先生のお名前を出させていただきました


広島大学教育学部では「卒業生は現在(いま)」というウェブページを新たに作成し、同学部(含む、旧学校教育学部)を卒業して社会で活躍されている先輩の姿を伝え始めました。



教英としてはその紹介第一号として胡子美由紀先生を選ばせていただきました。教英スタッフ全員が、教英には胡子先生のような卒業生がいることを大変誇りに思っております。




趣旨にご賛同いただき、大変にお忙しい中に原稿を書いていただいた胡子先生に改めて厚く御礼申し上げます。

胡子先生のことはご存知の方も多いと思いますが、ぜひこのページをご覧になり、皆さんにとっての指針の一つとしてください。




胡子美由紀先生のその他の出版物についてはこちらを御覧ください。




2017/12/21

今年もこんな季節になりました



毎年この時期に中央図書館前のカフェの近辺には電飾が設置されます。


寒い季節ですが、皆さま身体も心も温かくしておいてください。



2017/12/19

卒業前の4年生との飲み会


学部4年生は今、卒論の追い込みですが、これから卒業も近くなりみんなで集まれる機会も少なくなるので、昨日、4年生の大半と管理人(この学年のチューター)で飲み会をしました。(残念ながらいろいろな都合で全員集まることはできませんでしたが、多くの学生さんが参加しました)。 飲み会では日頃見れない姿も見ることができて 本当に楽しかったです。



管理人の私としては、入学式直後の彼ら・彼女らの個人写真を取った日がほんの少し前のように思えて感慨深かったです。月並みなことばですけど「早かったなぁ」。

学生時代というのは唯一無二の時代です。

彼ら・彼女らが「教英に来てよかった」と言ってくれるのが、本当にありがたいです。とはいえ一方で、「もっとやれることはあったのでは・・・」 とも反省もしたりします。この反省が教師の教育活動を少しでもまともなものにしてくれる源泉なのかもしれません。

卒業まであと僅かの日々ですが、この「教英26(ニーロク)生」が充実した日々を過ごしてくれることを切に願っています。



2017/12/12

「ああ、こんなにも教育は産業や資本のいい鴨にされてしまったのだな」

以下は、「コミュニケーション能力と英語教育」の授業を受けている学部3年生の感想です。彼女は特に、「 教育と生産を混同するな--ウィドウソン、ハーバマス、アレントの考察から--」の記事について書いてくれています。





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近年の産業化、資本主義化によって目標合理主義が高まったことにより、今やその波及が教育や学問にまで及ぶようになってきている。その波及効果として、目標数値にしか目が行かない人々、思考力不足、教育の根底にある人を育てるという大切なことを忘れ情熱を失う教師などが挙げられる。

産業化、目標合理主義に巻き込まれた教育に関して私が真っ先に例として思いついたのが塾、特に受験に突破させることだけが目標の塾だ。もちろん塾が全て悪いと言うつもりはないが、「○○高校・大学合格者○○人!」「偏差値○○以上まで上げることをお約束します!!」といった広告が特に地元で出回っていたのを思い返すだけで、「ああ、こんなにも教育は産業や資本のいい鴨にされてしまったのだな」と感じる。

今となってはようやくそれに気づくことができたが、実際に私を含め、周りの友達の多くが高校受験合格に向けて何かしらの塾に通っていた。目標数値があり、その数値に届くために必要な訓練をひたすらするので確かに成績は上がった。しかし、自分でじっくりと考えることよりも、効率よくいかにその数値に近づくかばかりが優先されている気がして、当時は中学生なりに時々疑問に思うことがあった。

疑問に思った時点で辞めるべきだったと考えることもできなくはないが、第一に問題だったのは、私が住んでいた地域では、塾へ行くことは当たり前のような風潮があり、中学校もそれに頼って若干塾任せと言えるような授業しか展開してくれなかったのである。学校は最低限を基準にした授業、生徒に考えさせない、周りは仕方ないから塾に行って志望校を目指すといった環境の中で、塾で効率の良い勉強をした人を抑えて行きたい高校に行くには、自分も塾に頼らざるを得なかった。(幸い高校進学後は学校に頼れるようになったが)

この危機的な状況を思い返すと、教育と生産を混同してはいけないという記事の意味がよく分かる気がする。経済や産業を発展させるには合理性や効率性は非常に重要な要素だろう。しかし、それだけを社会や教育にまで問い詰めるのは違う。目標数値や効率ばかりにとらわれると、その教科の楽しさや考えるという貴重な時間を潰してしまう気がする。私が育った区域では、効率主義、資本主義である塾の浸透だけが問題なのではなく、それをはっきり問題だと気づくことができなかった(気づいていたとしてもきちんと対応していなかった)公立中学校側にも大きな問題があると思う。

しかし、その中で唯一私が尊敬していた数学の先生(私が先生を目指すきっかけになった先生)だけは、経済的な理由で塾に行けない生徒や全ての生徒のことを思って、効率・合理主義な塾にはできない本来学校であるべき、考えることの楽しさや教科の面白さを教えてくれた。(それまで私は数学が大嫌いだったのにも関わらず、その先生の数学の授業だけは楽しかった。)まさにこれが生産と教育を混同していない、あるべき教師・学校の姿だと考える。





大学院新入生ガイダンスを行いました

学部に引き続き、大学院新入生ガイダンスも行いました。新入生のみなさん、ご入学おめでとうございます! こちらは学部と違って、やはりみなさん大人の落ち着きがあります!学部から大学院にそのまま進学した人、一度学部を卒業してしばらく教員をしてから大学院に戻ってきてくれた人など様々です。各...