2016/11/30

「アクティブラーニング」のような授業を経験した学部一年生の感想


先日、学部一年生向けの「英語教師のためのコンピュータ入門」という授業で、エクセルを使ってテスト得点を偏差値に変換することを扱いました。私の授業では、形式的な手続きだけを覚えて課題をこなすことはせずに、その課題の意味を考えさせ表現させることを常に重視しています。



今年からは180分授業になったこともあり、今回は私がそれなりに説明をして問いかけをした後の学生同士の話し合いと教え合いを以前にもまして充実させました。私は流行語になっている「アクティブラーニング」についてはあまり知りませんが、おそらくはそれに近い授業形式になったのかと思います。



以下は、その授業に対する学生さんの振り返りの一部です。肯定的な意見から批判的な意見まであります。授業を展開する際には、まずその第一の当事者である学習者に耳を傾けなければと改めて思わされました。




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■ アクティブラーニングの重要性はなんとなく分かっていたが、実際に体験してみるといつもの授業では体験しないような刺激を受けた。将来このような授業ができたら、英語を楽しいと思ってくれる生徒が一人でも増えてくれるのではないかと思った。

■ のっぽ度やぽっちゃり度を通してz得点について考えていく際は、アクティブラーニングの形となった。このようなことは、生徒同士で考え合い、教えあったりする方が、先生が一方的に知識を与えてくるよりも、気が楽だなあと感じた。(特にその分野が苦手な人は。)また、わかった時の達成感も生徒同士で分かち合えるから、楽しいと感じるのではないかと考えた。このように、生徒の楽しいと思う気持ちや協働することによって達成感を味わえるのが、アクティブラーニングのメリットなのではないかと思った。

■ ・・・そのあとにデータの分析をした。高校に習った記憶は忘却の彼方にいってしまったが、高校で習った時よりその本質を理解できたと思うし、何より楽しく学ぶことができた。先生も言われていたが、あれが”アクティブラーニング”であると知り、私もそういう授業を展開できるようになりたいと思った。教師として自分の知識をひけらかしたり、学習者と教師との間に概念的に差を設けて教える立場と教わる立場とするのではなく、どちらかというと教わる立場にいる人たちがともに学んでいくのを助ける立場になる授業があっても、それもまた良いのではないのかと思った。また、ここで得た知識をもとにしてデータの分析もちゃんとこなせるようになりたいと思う。

■ 標準偏差も分散も、偏差値も聞いたことはあるし、数学の授業で計算して出したこともあったけど、いざ言葉で説明しろと言われるとできませんでした。授業受けた後の今でも正しく教えることができるかと言われると、自信がないですが。わかった友だちに説明してもらっている間に理解できたと自分で思ってもそれを人に教えろと言われるとできませんでした。人に教えることの難しさというか、責任を感じました。自分が完璧でないのに人に教えていいものなのかと思ってずっと考えてました。理解が遅れたのは、高校時代に公式だけ覚えていた上っ面の知識だったからかなと思います。エクセルも関数使えばいいやと思っていたけれど、偏差値などは関数がなくて平均点や標準偏差を自分で出してからやらなきゃいけなかったりと、関数頼りなだけではダメだなと思った。

■ Excelで求めることができる様々な数値、それらを簡単に求められるようになるためにはその数値がどんな意味を持って、どんな用途で効果を発揮するのかを把握しておく必要があるのだと、この授業で感じた。今回は分散と標準偏差について皆で協力して考えたが、なかなか思うように議論が進まなかった。何となく答えはこうだろうというのはおそらく皆分かっていたのだが、それを言葉にすることがしばらくできなかった。少しずつ言葉を出し合って、これだという説明を一時は思いついて、先生に他のグループの人にも伝授してやってくれと頼まれたが、再び自分の言葉で説明することができなかった。人にものを教えるときは教える側がそのものをいろいろな角度から完璧に理解できていないと、説明しながら自分で分からなくなっていく恐れがある。もし自分の知識に自信を持てない教師が生徒を教えると、お互いに無理解が深まるのだと実感できた。まずはExcelについて人に教えられるレベルにならなければならない。

■ 今回は、Excelを使い偏差値を求めたり、標準偏差を求めたり、違うグラフにおける10という大きさの役割の違いを考えたりした。個人で考えた後、ペアワークをし、最終的にわかる人がわからない人に教えて、全体に広げるというアクティブラーニングだった。私は高校で覚えた標準偏差や分散の求め方をさっぱり忘れていて、ペアもお手上げ状態で手が止まっていた。しかし友達が教えに来てくれてなんとか理解することができた。やっぱり説明を聞いているだけでは身についておらず、実際に自分がやってみて初めて理解が深まるということが実感できた。でも実際にこのようなアクティブラーニングを中学校や高校の授業に取り入れるとなると時間がかかりすぎてしまうため、カリキュラムに追われている教師側からすれば導入しづらいんだろうと思う。なんとか時間をとってアクティブラーニングが学校の授業に導入できたら、全員が理解した状態で次の段階へ進むことができるのではないかと思った。

■ 今回の範囲はとても難しかった。高校で苦手だった数学は教英に入れば使わないだろうと思い、わからないところはそのままにしてきた。授業中の課題も正直に言うと、偏差値を出すのもエクセルに公式を打てば勝手に出してくれるし、わざわざ難しい理屈のようなものを考える必要がないと思ってしまった。知識の乏しい私にとって、話し合いをしても課題を理解することは難しかったが、一人だけではなく何人もが私に熱心に教えてくれ、グループワークの良さを実感した。一人で課題に取り組み挫折し時間が過ぎるのをただ待っていては時間と授業料の無駄である。完全に今回の授業の内容を理解することはできなかったが、教えてくれた人たちのおかげで少しは理解できたのでとても感謝している。

■ 私の立場と経験から想像して考えたことで、アクティブラーニングへの考えが自分なりに進んだことを以下に示す。

 今回の学習で特に印象的だったことのなかに、問題「ある集団において、『身長の大きさが平均より10(cm)大きい』ことと、『体重の値の大きさが平均より10(kg)大きい』、この『10(cm)』と『10(kg)』、仮にのっぽ度とぽっちゃり度とするなら、値が10増えたその程度は同じなのだ と言えるだろうか?」を素材にするアクティブラーニングの実践があった。

 そこで抱いた次の違和感から、以下のことを考えた。

 「自分の教え方が上手くない」と、「自分の頭がよくないからわからない」と感じると、もやもやして立ち止まってしまうのは私だけなのかな。

 生徒のアクティブラーニングを見守る教師の立場を意識しつつ考えると、授業においてはそのような「解決には至らない」あり方も可で、集団に任せ、教師がサポートをする働きをする活動全体で、「求めるアクティブラーニングの形」になっているのだろうか。

 アクティブラーニングにおいて、求められうる「成果」とはどのようなことなのだろうか。成果(「他の生徒の理解も進んだ」もしくは、「他の生徒の理解も『少しでも』進んだ」となるのだろうか)が生まれるか生まれないかはどの程度後においておくのだろうか。むしろ成果が生まれることに、教師ははじめからプラスの期待をもっておくのか。あくまで「生徒を信じる」スタンスをとっているのか。そのスタンスが無責任にも感じるのは、私自身のグループ学習での苦い経験からだろうか。アクティブラーニングにおいて、指導者(教師)に求められるあり方とはどのようなものか。

 自分の経験と、アクティブラーニングの実践の場面に居ての気づきから考えたこととして、やはりアクティブラーニングの際のグループ内での役割の偏りや、他者との比較をするなど個人のもつ考え方のような細かで複雑な状況の構成要素 などに起因する心理的負担(初歩的なグループ学習からつきものであると考える)に対してはサポート役の教師の役割は不可欠で、単なる生徒への丸投げは見過ごせないものだなとの考え方に気づいた。(この考え方をしないと、他者との学習・グループ学習などで辛さを感じる生徒の人格否定につながる。単に生徒自身がデリケートすぎる、弱すぎる、当然耐えていかないといけないこと(?)に耐えていくのは当たり前と生徒の感情を軽く扱う、のように)。
(中略)
 アクティブラーニングで扱う素材は、ある程度その理解を目標としたとき、目標達成されるべきこととして扱わなくても良いような、身につけることが義務のように言われない題材であることが大切なのではないだろうか。

 しかし学校現場で特に初歩的なアクティブラーニングの素材として扱う上では、生徒のやる気を引き起こす題材である必要から、ある程度、いわゆる身に付けておくべきことに関することでもある必要があるだろう。

 これらの兼ね合いの難しさから、K先生が授業「教育実習入門」での授業観察後日、討議時におっしゃったことを思い出す。「はたしてアクティブラーニングで扱う素材に、文法事項の学習プリントがふさわしいものであったのか(それがアクティブラーニングを成り立たせる要因の働きをしていたか、との言い換えができるだろうか)」。

 K先生のお話をうかがったときにはピンとこなかった事に対し、自分なりに少しでも近づけたかと感じ、高揚を抱いた。時や場を同じくせずに得た知識・経験・エピソードが、結びついていく感覚であった。これは私にとっての考える事のごほうびとなるような気持ちでもあり、自分の学びの原動力の一つを再確認ともなった。

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