その雰囲気は後まで残り、先日学部生のK君が「あのワークショップのことをぜひ文章でまとめてみたいんですけど」と自発的に申し出てくれました。
以下にその文章を掲載したいと思います。当日の学びがこのブログ読者の皆さんにも少しでも伝わればと思っています。
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今回は、ワークショップとして河合塾で英語科の講師をされている河野健治先生のワークショップに参加させていただき、河野先生の33年間の予備校講師の経験から、どのような点が英語教育の問題点なのかということについてお話を聞かせていただきました。今回は、このお話の中で私自身の二つの「目」を開かれたような気がしたので、そのことについて述べていきます。
一つは、英語と日本語の関係についての「目」を開けていただきました。河野先生は「英語と日本語はまったくの別物であり、これらを完全な互換性があるものと考えること自体筋が通っていない」と述べられていました。私は中学校で初めて英語の学習を始めてから大学で英語教育について学び直すまで、英語の意味は日本語でカバーできるものである(しなければならないものである)と考えていました。というのも、中高では、この単語はこのような訳出をすべきだと教えられた経験や、模範解答と同じような日本語にしなければ、校内の定期考査などにおいて日本語訳の問題で点数がもらえない経験があったからです。しかしながら、このような考えが、「be seated=座らせられる」という不自然な日本語につながっていたことを河野先生のお話の中で改めて気付かされました。このお話から、生徒たちが誤った言語観に陥ることなく英語学習に取り組む態度を意識させていきたいと思うようになりました。
もう一つは、高校生は様々な教科で学んでいることを前提に英語を教えていかなければならないという「目」です。例えば、英語科においては受け身といえばbe動詞と過去分詞ですが、国語科においての受け身は現代文と古文のそれぞれにおいて別々に教えられています。そのことを英語教師が自覚しないままに英語での理屈ばかり教えても、生徒は混乱するかもしれません。つまり、英語科の教師として、他教科の学習も同時に行っている生徒の目線に立って教えていくことが必要だと学びました。また、このように他の教科について英語科の教師が知るということは、英語科の授業内容にもプラスの効果があります。例えば、オゾン層に関する英語の長文などには、化学式の知識が活用できるかもしれません。
以上簡単ですが、私が先日のワークショップで特に学んだことをまとめさせていただきました。大学入学後、高校生の時に自分自身が感じていた疑問を将来の私の生徒に再び感じさせることを防ぎたいという気持ちになりましたし、なんといっても33年間のエッセンスの詰まったワークショップでは、ここには表しきれない程のことを学ばせていただきました。河野先生、ありがとうございました。
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