2016/08/01

学会成功! 院生に感謝します


大学院修了生中心の7/30(土)の広島大学英語教育学会と学部卒業生中心の7/31(日)の広島大学英語文化教育学会 --両学会は近いうちに統合します!-- が盛会のうちに終わりました。お越しいただいた皆さま、お忙しい中に発表をしてくださった先生方に深く感謝申し上げます。





学会の様子は今後このブログでお知らせしますが、本日は取り急ぎ、スタッフとして働いてくれた大学院生の皆さんに感謝の意を評したいと思います。


学校現場で聞こえてくる声の多くに、チームプレーをしようとしない少数の教員についての不満があります。

現場には定型的・規則的な仕事だけでなく、突発的だったり不規則だったりするが、誰かがやらねばならない仕事があります。

そんな仕事--それはしばしば事件といった形をとります--が生じた時に、よい学校でしたら誰からというわけでもなく全員が視線を交わし、「私がこれをやりましょう」、「じゃあ僕はこちらをやります」、「私はこちらの対応をします」と自発的に問題解決のための協働が始まります。そのような職場は問題も少なく、働きがいもある職場となります。

しかし少数の教員が(あるいは少なからずの教員が)、そんな問題が起こった時に、微妙に視線をそらして責任回避にはしったり、しゃあしゃあと理屈を並べて自分にはそれをやる義務はないと演説を始めたり、あるいはオロオロと浮足立つだけになったりすると、問題は刻々と悪化します。職場の問題はますます増え、深刻になり、働きがいも失われてきます(特に問題を回避ばかりしている教員が、問題が一段落した時点で評論家よろしく批判ばかりすると、敢えて火中の栗を拾うような思い出問題対応した教員は意気消沈してしまいます)。

もちろんそのような組織はつぶれます。民間でしたら倒産という形でつぶれますが、公的組織である学校は一気に倒産という形でつぶれることはなく、学校の危機という形で崩壊の道をたどります。

そうなると教育委員会としては腕利きの校長や熟練教師をその学校に派遣して学校の再生を図りますが、それにしてもその学校の教員が「自分はできるだけ楽をして生きていきたい」ということばかり考えているようだと、再生すら困難です。

実は、そのようにチームプレーができない教員の存在は、きわめて残念ながら否定できません。
私は--この文章には個人的意見が多いので、ここで改めて私の名前を出しておきます。柳瀬陽介です--、世間から教員のバッシングがある度に、私が直接・間接的に知っている「地の塩」ともいうべき誠実な教員の姿を思い浮かべ、世間の無理解に対して反発をしますが、一方で世間から批判されても仕方がない教員がいないわけではないことを思いうかべるたびに忸怩たる思いになります。


長くなりましたが、広大教英いや広島大学から卒業・修了して教職あるいは他の公務につく人は、自分が楽をすることばかり考えている者として公務に携わらないでほしいと個人的には強く思っています。

公務員 --public servant、つまりは公的な奉仕者もしくは「全体の奉仕者」-- は一定の身分と給与の保証を得る代わりに、誠実に公務に携わる義務を担っています。 (もちろん逆に、過酷なまでに自分を追い込んで「滅私奉公」することにも私は反対しています。そういった「滅私奉公」の悲劇をいくつも知っているからです)。

この点、今回の広大教英院生の働きはすばらしいものでした。特に(あえて名前はあげませんが)何名かの院生の働きぶり、機転の働かせ方、誠実な対応、責任感などには感心しました。学会の成功はスタッフとして働いてくれた院生のおかげです。心から感謝し、また、彼ら・彼女らのことを誇りに思います。

若い院生がこれだけ自発的に動いてくれたのだから、給料をもらって研究・教育をやっている教員としては、その何倍もの努力を(健康に気をつけながら)しなければならないと改めて思わされました。

ともあれ、学会に関わってくださったすべての皆さんに感謝します。

具体的な報告はまた折々にします。本日は取り急ぎ院生への感謝のことばまで。



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