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今の私は、インターネットへ接続することはできるものの、自分に必要な情報や自分が求めている情報が理解できていない完全な「情報難民」であったのだ。私が今まで18年間生きてきた中でも、パソコンの性能の高度化、スマートフォンの登場、AIの普及などたくさんの大きな変化があった。それを目にしてきたにもかかわらず、私は、これらの変化を完全に無視し、変化が起こる前の考え方から何ら変化も得られていないし、変えようともしていなかったことにやっと気がついた。
とりあえず情報機器を生活の中に取り入れ、日常生活のためだけにそれらを使うという方法をとってしまったことで情報の良し悪しや必要な情報を見分けられなくなり、本当の情報社会の恩恵を享受できておらず、変化に対する感覚が鈍り、これから起こりうる変化に対する想像力も身につけられていなかったように思う。
変化に対する想像力をもたない私がもしこのまま教員になってしまったなら、きっと生徒の可能性をつぶす教員にしかなれないだろう。今起きている変化に気づけない、これから起こりうる変化を想定できないのであれば、これからの時代を生きていく生徒たちにその時代に対応しうる能力を伸ばしてもらうことは到底できない。そのうえ、想像力が欠如していることで、植松努さんのお話にもあったように、教師が生徒の可能性をあきらめてしまうというケースも起こりうる。教師が生徒の可能性をあきらめてしまえば、いくら生徒に可能性があっても、生徒はそれを伸ばす手助けを受けられない。加えて、生徒が教師の考え方に染められてあきらめてしまえば可能性の芽は枯れてしまう。そのような生徒が教員になればまたこの悪循環が続きかねない。
教員になる人はただ「勉強」ができる人であってはならない。広く深い知識はもちろん大切であるのに変わりはないが、現実を見る力と想像力、それもまた重要になってくると思う(ほかにも多くの要素が必要だが)。ただ知識を授けるだけが教師ではなく、今の時代の物事の様子にしっかりと目を向け、考え、こんな授業をしてみたら、こんな教材を使ってみたら生徒の力を伸ばせるのではないか、こんな力が生徒には必要なのではないかと想像する力があって初めて、授業をより良いものにしていったり、よりよい指導ができるようになったりするのであろう。
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今回の予習で考えたことを何点かにまとめてみようと思う。
まず、齋藤氏と梅田氏の対談の記事にあった「全くやる気がないという人はどうにもならない」という意見についてである。
果たして本当にそうであろうか。
「ビリギャル」という映画が2015年に公開され、大ヒットを記録した。この作品は、学年最下位のギャルが偏差値を40上げ、慶応義塾大学に合格した実話をもとにして作られた。このような映画がヒットし、多くの人の心を動かすのは、きっと人が少なからず心の中に「今の自分のままではダメだ。」、「変わりたい」という思いを抱いているからだと思う。その気持ちをいかにして行動に変えさせるか、それを考えるのが教師の仕事であり、腕の見せ所だろう。ひとりひとり持っている個性を見抜き、それぞれに合った指導を行うことで、生徒がガラスの天井を打ち破る手助けをすること、その力こそが教師に求められているのではないかと感じた。
次に、教育が商品取引と化しているという内田氏の意見についてである。
私は上から指示されたマニュアル通りの指導しかできない大人が教師になってしまっていることが教育の商品化を進めてしまっていると思う。ここで考えたいのは前回の授業で考えた「創発」する力である。教師が知識を指示通りに「提供」することだけに力を入れてしまっているから、生徒も自然と受動的な態度になってしまうのだ。そうではなくて、教師も生徒も互いから学びとろうとする姿勢をもち、触発しあって、それを新たなものを生み出す原動力に還元できる空間を作り上げることが必要なのではないか。そうすれば、「提供」という一方通行の関係性が打開でき、教育の商品化を防ぐことができるのではないかと思う。
最後に直観知の発達についてである。
私は体育・美術・技術・家庭科・音楽など、身体的感性を磨くことのできる基盤科目を英語にも積極的に取り入れれば、英語教師も内発的動機づけを行うことが可能になると思う。それには、教師が音楽、身体活動などを効果的に取り入れることができるだけの教養を持ち、明確な意図をもって指導することが必要だ。私の恩師の授業は冬場でも身体が暖かくなるくらい「動」が強い授業だったが、そのおかげで私はいろいろな世界に広く触れて、自分なりにではあるが価値観を磨くことができたと思う。このような授業を私もしていくために、先生のおっしゃっているように本の中から生きた感性を身に付けていきたい。
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私が予習した中で最も印象的だったのが、「熱中できるなにか」という言葉である。私自身、高校生の時の部活動に熱中した経験があり、そのときは水分を取るのも忘れるほど熱中したものであった。その時の感覚は、なにか新たな技術や考えが手に入っては実践し、時に失敗し、試行錯誤しながら自分なりに身に着けようと努力したものだ。それは時に涙がでるほど辛い時があった。逆に時間が止まってほしいほど楽しいときもあった。
このことを学業にも活かすことができたら、生徒自らが「学ぶ」事ができるのかもしれない。つまり、今後は予習にもあったように、「いかに教師自身が現代の技術を駆使して、生徒の学びに対する動機をつけることができるか」が問題となってくると私も思う。無論、そのためには教師自らが「学習者」として不断の努力をしなければならないのは明確である。同様に英語教師を目指す者たちも英語力はもちろん、知識のアンテナを立て、現代の教育について敏感になっていなければならない。
私はその自覚がまだまだ欠乏しているのは認めざるを得ない。だが、前回の授業でもあったように、学ぶための教材、知識は、インターネットに膨大な数の情報がある。今からできることは、学ぶ意欲さえあれば、「熱中」できれば、たくさんある。私の現在は、未来の子供に直に影響を与えることになることを胸において、これから学びを深めていかなければならない。
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最終的に、やはり学校教育において必要不可欠になってくるのは、「子どもたちのやる気、努力」であるように今回の予習を通して感じた。それと同時に、これらを様々な手段を用いて引き出すのが教師の役目であるようにも感じた。
学校教育がどれほど改革されようとも、子どもたちに「学びたい」という欲や熱意が無ければ、それは無駄になってしまうのではないか、と考える。結局は、現場で実際に子どもたちとコミュニケーションをとり、そのふれあいから教員が授業の在り方や、学級経営、そして進路指導などを、子どもたちの知的好奇心を刺激するように、柔軟に考えていく必要があるのではないだろうか。これは、極めて難しいことであり、また上からの改革だけではどうにもならないことが多々あるように思う。改革をすることで起こった現場での歪みをフィードバックし、そこから修正を加えていくことでよりよい教育を作り上げていくことができるのではないだろうか。
しかし、子どもたちというのは、行政の実験体ではない。彼らには、彼らの未来があるのだ。改革による歪みで、彼らの未来を潰すようなことがあってはならない。もしも、教育によって彼らの未来を潰すようなことがあれば、それは将来の私たちの生活の大きな支えを失うことにもなる。
改革が起こり、受験のシステムなどが変化しようとも、教員の役割というのは子どもたちの知的好奇心をくすぐることで、学習に対するやる気や努力をするための源を創り出すことであるというように私は考える。
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「好きなことで生きていく」ーこれは人気Youtuberたちが自身のPR動画を作成したときに用いられていたYouTuberのキャッチコピーのようなものである。YouTubeに動画を投稿して、広告収入や企業案件での収入を得る。そんなYouTuberという職業は、小学生のなりたい職業ランキングの上位にランクインしたことからもわかるように、「楽しそうで、輝いていて、華やかな」イメージが強い。しかし一方で、「楽そうだ、こんなのなら自分にもできる。」と見下したり、僻んだりする声も存在する。ただ、彼らがやっていることについて、私は容易にできるとは思わない。動画編集ソフトを巧みに使い、撮影に使用するカメラにこだわり、毎日のように動画のネタを考える、とても簡単にできることではない。
確かに、人気youtuberにはいわゆる低学歴だとされるものも少なくない。しかしそんなことは一切関係ない。なぜなら、彼らのパフォーマンスは「好きなことをやっている」という人間の可能性をいかんなく発揮させる得ることで支えられているからである。このことは、興味関心が爆発すれば、ここまでの地位を確立することができるということが明確に示していると思う。
教師が生徒の興味関心、言い換えると「創造性」を度外視して、対価が与えられていることに対しての義務感のみで、「〇〇テストで〇〇点がとれる」という効能のある「商品」として教育を施す、こういった教育は人の可能性を無視している。現在、我々の置かれている状況として、インターネットの普及で情報が溢れている、そして、オープンエデュケーションの取り組みもあって、情報を利用するときの枷が緩和されつつある。
ならば、教師が為すべきこととは、生徒の興味関心を共に発掘することだろう。今の「買い物」のような教育で、決められた範囲内で、しかも「創造性」を無視したようなことをやっても、「やらされていること」から得られるエネルギーなんてたかが知れている。教師は、生徒に彼らが目を輝かせて、日ごろの勉強なんかよりも熱中してしまうようなことを一緒に見つけてあげるべきである。
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