以下は、ある授業を受けた教英学部一年生の感想です。
自分のSNS世界しか関心がない若者から、どんどんと大きな時間枠・地理枠・思考枠で考えられる若者に育ってほしいと、私のような「おじさん世代」は切に願っています。
そういえば20世紀末に流行していた「第三の開国」というフレーズも最近はついぞ聞かれなくなりましたね。なぜなんだろう。
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「激変する世界に置いて行かれないように勉強しないと危険である、という状態に気づくためにはそれ相応の教養が必要である」
授業中に出たこのジレンマの突破口は結局授業内では見いだせないままであった。その後のどに突き刺さる骨のように明確な存在感を放ちつつ私の頭の中に刺さり続けていたこの命題について考えているうちに、実はこれと同じようなことが日本の歴史の中に起こっているのではないかと思えてきた。私は今現在起こっているこの事態を「黒船来航」に重ね合わせて考えていきたいと考える。
そもそも黒船来航は嘉永六年(1853年)にペリー率いる黒船の艦隊が日本湾岸に来航した出来事である。当時ほとんど外国との交流がなかった日本にとってこの出来事は大いなる混乱を招くのに十分な出来事であった。その後日本は開国し、明治を迎えて目覚ましい文明開化を迎えることになる。そしてその開国を支えた人物は今もなお歴史に名を深く刻む政治家たちであることは言うまでもない。さて、現代を見てみると目覚ましい技術革新に追い付いていない我々の認識はさしずめ鎖国していたころの日本であろう。世界の最先端と我々の古い認識の大きすぎる差を埋めるにはどうすればよいのか。
もう一度黒船来航のころに当てはめて考えると、文明開化したのは時の明治政府が世界に追い付くために教育、土地制度、そして生活様式すらも大きく変えるような政策を打ち出したのが主な要因である。そののちの日本の成功は歴史に裏付けられているように、大きなものであることはもちろんご存知であろう。
そうであるならば、かつて敏腕をふるった政治家が主導した文明開化をもう一度起こすべきではないだろうか。そしてそれは大きな流れのもとで今行われようとしている。全国津々浦々で開かれている教育シンポジウムでの創造的な意見交換によって日々新たなアイデアが今も生まれていることを考えてみれば、誰かが主導するわけでもなく各々が「このままでは日本が危ない」というたった一つの認識に導かれて今までにない革命を起こすのではないかと考えている。
ここで忘れてはならないのはそうして変貌を遂げた社会を生み出すのはほかでもない教育であり、その教育を支えるのは未来の教員である私たちなのだということである。ともすれば、我々がすべきことは今すぐに情報を収集して、自分なりに今の世界がどう動いているかを把握することではないだろうか。日々の生活におぼれそうになっている毎日ではあるが、そうした時間を少しでも設けることが未来につながると私は信じている。
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