以下もDeweyを読んでいる院生の授業用書き込みです。私(管理人)の授業では、本で学んでいることと学生さんが実生活で経験していることをできるだけ結びつけるように勧めています。
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今回はDemocracy and Educationの第3章を読み、その後最近自分が考えていることを書いてみた。本文と以下の内容では直接対応している部分が多いわけではないが、第3章を読んでいたとき以下の経験が思い浮かんだので、ここに書いておきたいと思う。以下は塾でアルバイトをしていたら誰しも経験するような内容になっていると思われる。
私は最近、塾で英検の面接対策をすることが頻繁にある。私が高校生のときと比べると、やはり受験しようとする生徒が多いと思う。生徒たちもそうだが、親御さんたちや学校、塾の先生の熱気も非常に強い。小学生から高校生まで、皆揃って受験している。彼ら彼女らの進路に有利ということで、卒業までに特定の級の取得を学校側が求めることが多いようだ。
しかし、英検の対策を塾で補っているということは、学校がサポートしきれない部分が大きいということだろう。そういった英検取得を求める学校は、学校内でも補習に回す時間で英検対策を実施しているところがあるが、それでも英検に合格できるほど十分ではないらしい。その結果、塾に通える子どもは対策の時間が各段に増えるものの、通えない子どもは泣き寝入りするしかない、というのが現状であると思う。
それでは、塾に通える子どもは英検面接が十分にできて一件落着かというと、現状はそれほど楽観できるものでもない。多い生徒で週2~3、少ない生徒で週1回あるかないかの頻度で対策を進めている。さらに、一日に英検対策に回せる時間にも限りがあるため、生徒一人に対して使える時間は一日20分そこらである。面接対策が始まるのは一次試験が終わった直後から二次試験当日までの4週間ほどなので、少ない場合だと合計で2時間にも満たない。しかし、そのような状況でも、生徒たちは学校や親御さん、塾からの熱い期待のまなざしを受け、面接対策を受けに今日も私の前にやってくる。
面接対策をしていてやはり気になってしまうのは、面接中のやりとりが決まったパターンの繰り返しになってしまうことだ。面接官がこう言ったら、こう返す。学校などで面接対策を既にしていて慣れている生徒に、むしろこうした傾向が強いと感じている。自分の発話に意図があるとかないとか関係なく、相手が言ったことを自分が記憶しているパターンのリストと照らし合わせ、それに合うパターンの発話を返す。
一見コミュニケ―ションが成立しているように見えなくもないが、実際のコミュニケーションとの違いは歴然だ。それは、こちらが少し発話のパターンを変えると、たちまち生徒たちに焦りが見え始めるという点だ。この点については、生徒に責任があるのではなく、私たちのような塾や学校での対策のやり方に責任があると思っている。限られている時間の中で効率的に合格を狙うのであれば、パターンを刷り込むことは効率が良いとされている。理屈はいたってシンプルだ。しかしシンプルなだけに、そのようにして固定したパターンから抜け出すのは困難だ。
面接官の言ったことに出来るだけ早く正確に反応していく。自分の記憶している定型文を相手の言ったことに合わせて当てはめていく。実際のところ英検準二および二級あたりまではこの手が通用してしまう。二級を卒業までに取得するよう促進している高校が増えてきたが、定型文を正確に産出するやり方で通用してしまっている以上、実際のコミュニケーションにはさほど近くない会話テストを奨励していることになってしまう。
世間一般ではそれで会話ができるということになっているのかもしれない。それだけ英検の影響力は強くなっている。けれども、仮に英検面接で見られるこのようなやりとりをコミュニケーションと呼ぶにしても、この特殊なコミュニケーションは英検面接に関わる人々の中でしか通用しないことが多い。英検面接の世界でのコミュニケーションだからである。たしかに、コミュニケーションの目的も、手段も、英検面接の共同体の中では共有されているかもしれない。しかし怖いのは、この共同体から一歩外へ出て、外の世界から実際のコミュニケーションを基準とした評価を受けるときだ。英検〇級というステータスが重圧になることもあるかしれない。
塾で英検対策を受けられない生徒にとって、英検の特定の級取得を進学の際に有利なものにしたり、大学の受験資格にしたりすることは格差を拡大させることにつながる可能性がある。一方で、英検対策を受けられる生徒にとっても、こちらはこちらで既に上で述べたような問題が生じる。私個人は、今のところ塾に通える子どもと接することがほとんどなので、英検対策も十分にできて、なおかつ、英語を使った実際のコミュニケーションってどんなものだろうか、と生徒が考えることができるような機会を提供していきたい。塾で講師をしていると何かと難しいジレンマにぶつかることが多いが、講師よりももっとジレンマを抱えているのは生徒たちだと思う。そうしたジレンマを少しでも解消できればと思う。
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