2019/03/29

卒業・修了おめでとうございます!


3月は別れの季節でもあります。早いもので、3月23日の卒業式・修了式から1週間が経とうとしています。



今年もたくさんの卒業生・修了生を送り出しました。4月からは教員として教壇に立つ人、一般就職をする人、大学院へ進学してさらに学問を究める人、元の職場に復帰される人、それぞれのスタートをきることになります。それぞれの道でのご活躍をお祈りします。教英スタッフ一同、これからもみなさんを応援します!

近くへ来られることがありましたら、気軽にお立ち寄りください!再会できるのを楽しみにしています!

2019/03/11

広大教英の卒業生(平成15年度入学生)の江澤隆輔先生が三冊目の単著である『教師の働き方を変える時短』(東洋館出版社)を出版されました!



広大教英の卒業生(平成15年度入学生)の江澤隆輔先生 (https://twitter.com/ezryusu) が、『中学校英語サポートBOOKSテーマ別英作文 ドリル&ワーク』、 『中学英語ラクイチ授業プラン』に引き続きこの度三冊目の単著となる『教師の働き方を変える時短』を東洋館出版社より出版されました。



 



上の画像をクリックするとこの本の目次を見ることができますが、長時間労働で苦しんだ末に独自に仕事の能率を上げる工夫をしているベテラン教諭なら「そうそう」、「そうかもしれない」と目次を見ただけでいろいろな考えが浮かんでくるでしょう。

今、とにかく仕事の波に呑み込まれている若手でしたら、わかりやすくまとめられた本文を読むことで具体的なノウハウだけでなくその背後にある考え方を会得することができるでしょう。

私もそれなりに仕事の能率化・効率化を高める工夫をしてきたつもりでしたが、この本を読んで、やはり


・時間的に余裕がある時期に行う事前準備により、仕事の長期的見通しを得る(かつ短期間での超集中作業による疲弊を避ける)。 

・できる限りの資料を電子共有することで、一つ一つの仕事の成果を他の仕事に活用するシステムを得る。



ことが大切であることを学び直しました。

と、管理人の悪い癖でとても抽象的にまとめましたが、もちろん忙しい読者のために書かれたこの本はとてもわかりやすく書かれています。原理だけでなく有益なアプリやエクセルの小技などのとても具体的な情報もあります(私は恥ずかしながらエクセルで文字列を扱う際の "=A1 & B1" といった "&" 関数のことを知りませんでした)。

21時過ぎ退勤が当たり前で午前様になることも珍しくなかった仕事のスタイルを、結婚と子どもさんの誕生を機に、夕食前には子どもをお風呂に入れ夕食をいつも家族で一緒に食べるワークライフバランスに変えた--しかも通常業務に加えて三冊目の単著も刊行している!--著者によるこの本にぜひご注目ください。




2019/03/04

Katherine Song先生の離任の挨拶


長年にわたり教英生を教えてくださったKatherine Song先生が広島大学を退職し、琉球大学へ異動することになりました。

以下はSong先生からのメッセージ動画です(容量の関係で二分割しています)。

Song先生これまでありがとうございました。

またどこかでお会いしましょう!






2019/01/29

学習者を操作できるものとして捉えることで、その行為までも完全に予測できるものだという考えがあるのだろう



以下も学部3年生用の「英語教育とコミュニケーション」の授業の感想です。この回では、アレントの「複数性」の概念を取り上げました。



 


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■ 私は今回話題にあがっていた「政治」を教師の「授業」に置き換えて考えてみました。そう考えると、「制作」とは、教師が学習者を操作の対象に据えて、教師がしたいこともしくは価値観を教師主体で学習者に押し付けることではないかと考えました。そしてその前提として、学習者を操作できるものとして捉えることで、その行為までも完全に予測できるものだという考えがあるのだろうと思いました。

しかし、人間は全くとして同じ人はいないため、複数性において人間を捉えるべきだと考えると、その人間がかかわりあう行為はどう発展していくかどう帰結するかは予測不可能であり、学習者の行為を完全に予測するのは無理だと考えられます。つまり、必ず教師の思い通り・予測通りになるとは限らず、というよりもむしろ予測不能な事態はしばしば起こるものなのだと思います。そういった予測不能な事態が起こった時に、どう教師が関わっていくかが大切なのだろうと思いました。

予測していなかった事態に対して自分の考え方において〇か×かを決めそれで終わりとするのではなく、それがもつ価値について考え、他の子たちの学習の契機にならないかを考えるステップが必要だと思いました。学習活動においても教師の一方的な教えこみや一人で完結する「制作」ではなく、それぞれの学習者が様々な視点・観点から物事を捉え、語り合って全員で作り上げていくという形が大切なのではないかと思いました。


■ 後半部分のアレントの意味理論のうち、人間の複数性について考えたことをまとめようと思う。私たち人間は一人では決して生きておらず、互いに異なり矛盾することもあるかもしれない複数の人間の中に生きていることが、私たちが人間であるための重要な条件の一つである。また、人間が複数で存在するということは、人間が集い語り合う公共的空間があることを必要とする。そのような公共的空間では、基準や共通分母が共有されているわけではない。一つの物事が多くの観点と視点から観察され、なおかつその観点に基づき人々が語り合うことができる。

 これらのことを理解しようとした時に、今まで受けてきた授業を思い返してみると、授業の中で教室という空間は人間の複数性を担保したものだったのか、公共的共存は達成されていたのか、とても疑問に思ってしまった。生徒は先生が求めているであろう答えや反応を示し、ただ先生が先導する流れに乗っていただけだったのではないだろうか。少なくとも教室は、一つの物事が多くの観点や視点から考えられ語り合われるような空間ではなかったように思った。

 私が小学生の頃に“KY”という言葉が流行ったが、この言葉が表すように、日本人はその場の空気をとても大切にする、大切にしすぎているのではないだろうか。波風を立てないようにその場の雰囲気や流れに乗って行動する。そのような心持ちでは、独自の個性を持った人たちが語り合いなどできるはずもない。英語の授業においてコミュニケーションが重要視される中で、授業においてはそのような日本人の特性を取り払い、公共的共存が達成された上でコミュニケーション活動が行われるべきであると思う。どうやったら教室において公共的共存を達成を達成できるのか、人間の複数性を担保できるのかはわからないけど。


■ 人は皆、独自性を持っている(内面の性格や特性のことだと理解しました)が、違いを持ちながらも平等に生きている。皆が均質であれば、人びとの間で差異は生まれないが、コミュニケーションも生まれなくなる。違いがあるからこそ、相互理解のために、なにか行動を起こしてお互いに理解しようとしている。

 アレントの複数性という考え方を通して、英語や日本語といった緩い同質性があるからこそ、私たちはコミュニケーションをし、そのやりとりを楽しむことができると思う。他人の話に共感したり、笑ったりできるのは自分ではしないようなことを他人がしていたり、自身の周りでは起こらなかったことを聞いたりできるからだ。それも差異性だと思う。だからこそ、英語教育の中で、コミュニケーションの楽しさや同一・同質ではない他者との相互理解について教えることができると思う。


■ 感想:教員養成コースにも哲学の授業(または哲学的に考える機会)があるべきだと思う。教員を志す学生も(理想的には全ての人が)哲学というものを専門外、不必要に思わないような環境、認識づくりをすべき(大学、またそれ以前の学校教育の責任?)。哲学なんて、と思っている人も自覚していないだけで、どんな人も問いただせば奥底に哲学があり、誰も無関係ではいられないはず。



「君たちは語るものがないのに、語る練習ばかりしてきたんだね」



以下は、学部三年生の授業「英語教育とコミュニケーション能力」で野口三千三氏と竹内敏晴氏の言語観について共に考えた際の学生さんの感想です。






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■ 言葉が選ばれる前の原初情報の段階を大切にしなければならない、言葉選びを大切にしなければならないというお話がありました。この時、予備校の先生に言われてハッとした言葉を思い出しました。「君たちは語るものがないのに、語る練習ばかりしてきたんだね」。英語の応答にて、1人の生徒がありきたりな回答をしたということで、先生はため息交じりにそうおっしゃいました。厳しいお言葉だと思いますが、僕を含め誰も何も言い返せませんでした。たどたどしくても良いから自分の言葉で自分だけの想いを語れるような生徒を育てなくてはいけない、そして、生徒が一人一人の想いを伝えるための言葉を身につけられるような授業づくりが必要だと思いました。


■ これまで自分が受けてきた教育を振り返ってみると、この言葉を話したい衝動が内面に生じるような授業や講義はそれほど多くなかったように思います。特に高校時代は、授業内において生徒が声に出すのは答えだけであるようなものも中にはあったと思います。その答えには自分の中身は関係しておらず、どうしても言葉にしたいと思うこともなかなかありませんでした。そういった言葉はどうしても無機質的なものであったと思います。

 今回の講義を受けて、もっとそれぞれの想いがのった声を教室内に生み出すことが大事だと感じました。そのためには、教師が「教えるのだ」「学習者をコントロールするのだ」という姿勢で臨むのではなく、学習者と向き合い、時には一緒になって学びに向かうことが大切だと感じました。


■ 野口三千三の考えの中で、「すべての言葉は体の直接体験に結びつく。心・体・言葉・声のすべては、体の中身の変化である。」というものがあった。その点で見ると、英語の授業では自分の体・心の状態にぴったりと合った言葉を探す訓練が蔑ろにされているような気がする。

 コミュニケーションが重要視されるようになり、昔の文法を中心とした授業よりも、生徒が話したり聞いたりなどコミュニケーション活動が授業に多く取り入れられている。具体的には、教科書の場面やシチュエーションを想定して、本文を使って練習し少し変えてやってみよう、というのが多い。しかしその活動は本当にコミュニケーション活動と言えるかどうか疑問に思う。

 授業でのコミュニケーション活動は自分の体・心の状態にぴったりと合った言葉を探す訓練であるべきだと思う。現状でのコミュニケーション活動は、何も考えずとも与えられたセリフを発せば乗り越えられるようなものになっている。そのような活動では、英語を話す発音練習にはなるが、コミュニケーション能力は育成できないと思う。そのため授業でのコミュニケーション活動は、より自由度の高く、生徒が考えて生徒自身が表現したいことを表現するようなものにするべきだ。またそのような授業を通して、自分が表現したいことを自分の言葉で表現しようとする、言葉選びを大切にする生徒を育てることも目指されるべきだ。自分が教師として授業をする際も、そのような点を顧慮したコミュニケーション活動を導入したいと思う。


■ これは教育実習の初めての授業で盛大に失敗したことによる恐怖からであったのですが、実習中私の授業中の目標というものはなんとか授業を終わらせるということになってしまい、そんな考えを持っていれば当然なのですが授業中もとりあえず間違いのないように、当たり障りのないことを述べようとしてしまいました。当時は自分のことで精一杯だったため考えられませんでしたが今生徒たちの反応を振り返れば、自分は全く「声」というものを生徒たちに届けるということができていなかったと思います。それどころかユマニチュードの考えで言うところの人間らしく扱う、目を合わせるといった行為すら自分は生徒そのものに恐怖を感じてしまい、出来ていなかったように思います。


■ また、これは別のことだが、アルバイトをしている塾で中学生に英検対策をしていた際に生徒に「英検のライティングでテーマが与えられていても特に書きたいことがない」と言われ、英検では個人のライティングの内容が評価される訳ではないから自分が自信をもって使える英語で文法ミスをしないように書けばいいという広義の言語の本質からそれた客観的評価のみに焦点を当てた思考に侵されていたことに気が付くとともに、そのような問題ばかりでは生徒の英語学習のモチベーションが下がることを危惧した。


■ ことばの運用については言うまでもなく日常会話はいつも口をついて出てくるし、毎度どの言葉を選択しようと考えることはない。しかし野口は選択されなかった言葉(原初情報の段階のもの)こそ大切にしなければならないという。それが本当の意味でことばを大切にするということであるらしいのだが、それはとても難しいことではないだろうか。すでに言ったように日常で用いられることばは吟味されるものではないし(相手との関係性にもよるが)、そうしていてはむしろその場の会話に不自然な時間を生じさせてしまう。

ただこの年頃になって私は、自分の言葉選びに変化が生じてきているのを感じることがある。相手に伝えたい本心をなるべくそのまま伝えることができるようなことばを発してきていると思う。では一方でこれまで使ってきてそして選ばないようになったことばは何であるのかを考える機会を持つことしてみようと、野口の考えに触れて思った。


■ また、竹内氏の教師と生徒の関係は「主体⇔主体」という言葉にハッとしました。私が生徒や教える人の前に立つとき、変に意識して上から言葉を投げかけたり教師だから全てわかっているつもりで話したりすることがあったことを思い出しました。そうして肩に力が入り、きつく言ってしまったりしたときはほとんど私の声・ことばは届いていませんでした。教師も生徒も「主体⇔主体」であると考え、一緒に学び教えあう存在だと理解し、一方的な需要と供給の関係ではないことを分かっていれば生徒との関係性やじぶんのことば、そして相手のことばをよく考えるようになると思います。教師として、機械に教えているのでなく、生徒という人間と共に学んでいるということを忘れるべきではないと思います。









2019/01/25

学部1年生のNYさんによるミシガン州立大学留学体験記



 私は、8月下旬から約3か月間、アメリカのミシガン州立大学に留学しました。3か月間という短い期間でしたが、アメリカでの大学生生活を体験することが出来ました。

 私はミシガン州立大学のEnglish Language Centerというところで、Grammar, Listening and Speaking, Reading, Writingの授業を受けました。1クラス10人ほどの少人数クラスで、中国・韓国・サウジアラビア・台湾など様々な国からのクラスメイトとともに学びました。

 それぞれの授業では、主に2種類の課題がありました。1つは個人に課される課題で、もう1つは3~4人のグループを作って、1つの課題を完成させるものでした。個人で課題に取り組むことで、自分の英語に向き合うことが出来たのはもちろん、グループで課題に取り組むことで、自分には無かった視点や他国の文化を学ぶことが出来ました。自分が当たり前だと思っていることも、仲間にとっては当たり前ではないことを常に頭に入れておくことが大切で、「当たり前のことだが、言わなくても伝わるは通用せず、言わなければ伝わらない」という教授のお言葉を聞いた際は、多文化・多民族社会のアメリカを感じることができた瞬間でした。

 授業は、生徒中心の授業でしたので、自分の思っていることを伝えたり、クラスメイトの意見を取り入れたりしながら自分たちのアイデアで授業をつくりあげていきました。この感覚は私にとって初めてでしたが、とても楽しかったです。私が将来、教師になった際はこの楽しさを生徒に感じてもらえるような授業をつくりたいと思いました。また、寮生活では、二人部屋でルームメイトとともに過ごしました。私のルームメイトは、英語が母国語の方で、私の課題の面倒を見てくれたり、相談にのってくれたりしました。もし彼女がいなかったら、私の心は折れてしまっていたと思います。彼女には感謝してもしきれません。

 恵まれた環境で素敵な仲間とともに過ごした3か月間は、大切な思い出です。また、留学中に感じた悔しさはこれからの英語学習への強いモチベーションです。

 


(寮の仲間との写真です。)



エディンバラ大学への留学手続き説明会を開催しました



教英留学プログラムへの参加者を募る時期となりました。今年も業者の方に来ていただき、手続き等の説明会を行いました。今回は14名の学生が4月からエディンバラ大学で4カ月間学びます。



平成3年(1991年)に始まったこのプログラムも今回で29回目となります。延べ600名以上の教英生が参加してきました。4月に出発しますので、出国時は平成ですが、帰国時には日本は新元号がスタートしています。平成最後の参加者であると同時に、新元号になって最初の参加者でもあります。そう考えますと、非常に感慨深いものがあります。



毎年、このプログラムに参加してくれた学生はイギリスで様々なことに積極的に挑戦し、英語力はもちろん人間的にも大きく成長して帰ってきてくれます。今回の参加する学生も、有意義な4ヶ月を過ごして帰ってきてほしいです。

(西原貴之)




教英・グローバルコモンズ共催イベント 大学院生が登壇

  2026年7月16日、教英と教育学部グローバルコモンズの共催で下記イベントが開催され、M1の上原壮司さんがパネリストとして登壇しました。 以下、上原さんからの報告です。 ====== 7月16日に教英とグローバルコモンズの共催で開催されたパネルディスカッション「Approac...