先日留学から帰ってきた教英生Mさんの留学体験記です。「書いていると書きたいことが溢れてきてしまって長くなってしまいました」とはMさんの弁ですが、この体験記が読者の皆さんの何らかの参考になることを願って掲載します。Mさん、ありがとう。
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読者のみなさん、はじめまして。私は2016年2月から同年11月まで、広島大学の交換留学制度であるHUSAプログラムを利用して、オーストラリアへ留学していた教英生です。
この度は、現在、あるいはこれから教英に所属し、教英のプログラム以外の留学を考えている人へ、私の経験した留学の基本的な情報と、私の考える、留学をするにあたって知っておいたほうが良いこと(プラス面はもちろん、マイナス面も)をお伝えするために、ブログに投稿させていただくこととなりました。よろしくお願いいたします。
まず初めに、私の留学について簡単にご説明いたします。
留学方法:HUSAプログラム(広島大学と提携している海外の他大学との交換留学制度)
派遣期間:2016年2月~2016年11月(学期制度は派遣先の大学に準ずる)
派遣場所:オーストラリアのサウスオーストラリア州にあるフリンダース大学
履修科目:[前期]ミクロ経済学、マネジメント、マーケティング、心理学
[後期]マーケティング、心理学(2種類)
備 考:私は4年生の終わりに留学しました。自分の所属する教育関係の授業をすべて履修済みであったため、今まで自分の学んだことのない、興味のある分野にチャレンジしました。一般的には3年生の時に留学される方が多く、その場合は自分の所属する学科と同じ授業を履修し、帰国後に単位交換をすることになるようです。
私は今回の留学で、生まれて初めて一人で海外へ行きました。もともと少し臆病な性格ということもあり、事前準備は念入りにしたつもりでしたが、現実はかなり厳しいものでした。文字通り、笑いあり涙ありの約10か月でしたが、帰国した今思うことは「行ってよかった。」の一言だけです。
語りたいことは数えきれないほどありますが、このブログでは「行ってよかった。」に繋がった以下の2点について書かせていただきます。
その1、挫折経験が得られたこと、そしてそこから最終的に這い上がることができたことまず、その1について。情けない話ですが、私の挫折の発端は「英語」でした。渡航前の私は、スピーキングに対しての不安はかなり大きかったものの、リスニングに関してはある程度の安心感を持っていました。なぜなら、中高生時代はもちろん、大学においても、この「教英」という、英語に触れる機会の多いところで学ばせていただいており、留学のために必要なTOEFL試験の勉強などにも一生懸命取り組んでいたからです。たとえうまく話せなくても、相手の言っていることさえわかれば、ボディランゲージや表情をうまく使うことでコミュニケーションをとることができるだろう。そのようにしてできた友達と日々を過ごす中で、スピーキングをゆっくり伸ばしていけたらいいな。と、考えていました。
その2、背景にある文化の違いを乗り越えて同じ時間を共有した、かけがえのない友達ができたこと
しかし、いざ現地に到着し、空港ピックアップの大学職員の方とお会いした瞬間、自分の考えの甘さを思い知らされました。自分の知っている英語とは違う単語、発音、言い回し。何度も何度も聞き返し、ゆっくり話してもらってやっと、なんとなく意味がつかめる状況。結果として、渡航前に立てた計画が一瞬で崩れてしまい、初めての海外生活に対する楽しみな気持ちもモチベーションも、こんな状態で10か月も過ごせるのだろうかという不安に変わってしまったことを覚えています。その後も、英語に対する自信をすっかりなくしてしまい、コミュニケーションをとることが怖くて、人と挨拶以外の会話を交わすことから逃げてしまっていた時期や、もう私には無理だったのだと諦め、しっぽを丸めて帰ってしまおうかと本気で悩んだ時期もありました。
実際、現地の冬季長期休暇である7月には一時的に帰国し、一度身も心もリフレッシュしてからオーストラリアへ戻りました。一時帰国することについてはかなり迷いがありました。しかし私の場合、一時帰国前とその後で気持ちやモチベーションがかなり良い方向へ変化し、後半戦ほとんど悩むことなく全力疾走することができたため、いい選択だったと思っています。
このようにかつてないほど自分と向き合って日々を過ごすうちに、自分が今までいかに周りの環境に恵まれ、周りの人々に支えられていたのかを痛感し、ここで意地でも頑張りぬき、帰国後にこれまで出会った人々に恩返しをしたいと思うようになりました。
そう思えるようになってからは、この留学を自分の中でプロジェクト化し、最終目標「完全帰国までに日本にまだ帰りたくないという気持ちになる」に向けて、数か月に一度、自分のプラスの気持ちや思考を赤、マイナスを青と色分けすることで整理する時間を作り、生活していました。初めは真っ青だったページも、帰るころには真っ赤、、、とは言わないまでも、最終的に「また絶対にここに帰ってきたい」と心から思うことができるまでになりました。
挫折の発端であった英語に関しては、初心に返り、恥を捨て、ネイティブでいう幼稚園児くらいのレベルの英語で中高時代に学んだ文法や構文をフル活用することでコミュニケーションをとっていきました。3人以上になるとほとんど会話についていけなかった初めのころは、2人で会話できる機会を大事にして、不自然な言い回しや間違った単語を友達に直してもらっていました。
たまに「日本の学校の英語教育は使えないから無意味だ」なんて言葉を耳にしますが、私は、そのように言われている英語教育に救われました。確かにそのままだと自然には使えないかもしれないけれど、自然な英語を話せるようになるための最高の材料なのだと感じました。その材料をそのまま食べて美味しくないと感じるか、自分で努力して美味しく料理するかはその人次第なのではないかなと、思いました。
長くなりましたが、続いてその2、背景にある文化の違いを乗り越えて同じ時間を共有した、かけがえのない友達ができたことについて書いたのち、終わりへと繋ぎたいと思います。
上に述べたように、はじめはなかなかできなかった友達ですが、2人で話をする機会を積み重ねていくうちに、自然と距離が縮まっていきました。また、私の派遣先大学にはJapanese Speakers Clubという、日本が大好きで日本の文化や言葉を学びたいと思っている学生たちによって立ち上げられたサークルがありました。わたしは、そこで週に2回、日本語と日本ならではの文化や風習を教えるお手伝いをしていました。学ぶ内容は日本語と日本文化でしたが、使用言語は英語であったため、私自身の英語の練習をする本当に良い機会でした。自身が広島大学で4年間学んだ知識や、3年生の時に教育実習をさせていただいたときの学びを、少しですが活かせたこともまた、貴重な経験でした。
また、ご縁があって後期からクリスチャンのサークルにも顔を出していました。私自身はクリスチャンではないのですが、マネジメントやマーケティングの授業で宗教というトピックがよく扱われるのにもかかわらず、日本であまり馴染みがなかったため、勉強のために参加していました。オーストラリアは日本と比べると多民族国家であったため、そのような場でできた友達は国籍も文化も価値観もバラバラでした。それでも、ある時にはきれいな景色を見に出かけて共にはしゃいだり、ある時にはcontroversialなテーマで真剣に意見をぶつけ合ったり。そんな素敵な関係を築くことができました。私が「また絶対ここに帰ってきたい」と思えたのは、彼らのおかげです。
総じていうなれば、今まで生きてきた人生の中の最もどん底を経験し、最も自分と向き合い、最も成長できた、最高の留学でした。
これから長期の留学を迷っている方には、チャレンジしてみることを心からお勧めします。決して楽しいことばかりではないかもしれませんが、楽しくないからこそ得られる貴重なものが数えきれないほどあると思います。そして、留学の決断、準備段階はもちろん、留学中でも、何か困ったことや聞きたいことがあればいつでもご相談に乗りたいと考えております。
大変長くなりました。最後まで読んでくださってありがとうございました。