2018/01/08

「時間をうまく使う」ことで時間そのものを失う

以下はある授業の振り返りとして学部三年生が書き込んだ文章の一節です。ミヒャエル・エンデの『モモ』にも出てくるテーマですが、私たちは「効率的な社会」の中で、観察すること、自分の外と内の変転を時間と共に経験すること、言い切ってしまえば生きること、を忘れ始めているのかもしれません。




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ウィトゲンシュタインは、ゲームと呼ばれる様々な営みの共通要素は、それらがすべて「ゲーム」と呼ばれる以上、なくてはならないと決め付けるのではなくて、一つ一つのゲームを丁寧に観察することが大切なのだと述べています。

なるほど今の私たちにかけているのは「観察」の「時間」だなと思いました。情報化が進み、急速に世界が変化する中で人は時間を割くことを嫌うようになったのではないかなと思います。Youtubeでたった10秒の広告をとばす、過程はいいから結末だけ見たいと早送りをする。1冊の本をすべて読むのは時間がかかるからまとめられているサイトを探す、RPGのゲームなどでもミスをして時間を取られるのは嫌だから攻略サイトを見つけるなど、「いかに時間をうまく使うか」に焦点が当てられているように感じます。

そうした時間や手間を惜しむことによって、観察するという行為が欠落してしまったなと自分では感じます。効率のいいように型にあてはめ、本質が見えてなったのかなと思いました。対象をじっくりと観察すること、簡単なようで難しいと思います。しかし、この手間を惜しんでいてはいけないと思いました。




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