以下は、学部三年生向けの授業「英語教育とコミュニケーション能力」を受けた学生さんの授業の振り返りです。
こういった考えが回りから潰されないこと、また自分自身で潰してしまうことがないことを祈ります。
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「どうして英語を学ばなければならないのか」「日本語で十分なのにわざわざ苦労してまで英語を学ぶ理由はなんなのか」英語が苦手だった私自身学生の頃なんども感じてきた思いであり、今の学生の多くも同じように疑問を抱いているに違いない。近い将来英語教育に従事することになる今の私にとっても避けては通れない問題である。今回の授業を通してその答えを考えるきっかけになるものを得ることができたように思う。以下にまとめていきたいと思う。
一つ目は「評価」のありかたである。実習の時から、授業中のいかなる活動もどのようにそれを評価するのかまで考えて行いなさいときつく指導を受けてきた。たしかに生徒の作品の出来栄えや問題の正解不正解など、ある程度目に見えて評価できるものを基準として生徒を評価することはたやすい。しかし全てを数値で推し量ることはできないにも関わらず、今では学校での成績がその人物の全てを表すように扱われている。各学校は進学率や学業成績などをもってその学校をアピールし学生を集めようとする。私の高校の同級生の中には、私立の大学への進学を強く望んでいたが、担任の先生から「私立に心が固まっているとしても国公立の入試を受けそこから考えなさい。」と言われ、望みもしない大学の入試を受けたものが何人もいる。その先生がどのような考えのもとこのような指導を行ったか定かではないが、その中には間違いなく、進学率をあげるという考えがあったのだと思う。学生自身も成績に関してのみ強く関心を持ち、成績を上げるために活動に取り組む、成績を上げるために提出物を出す、成績を上げるためにテスト勉強をする、このような考え方を誰しもが持っているように感じる。それまでの成績と入試が、高校や大学への合否を決める以上成績を求める考え方は当然のものであり、教師の立場から考えても、成績のためだとしても学生が活動や課題に取り組む中である程度の“力”がつく(ついたような気になる)のであれば、そうさせていればいい、といった考え方があるのではないかと思う。
このような経緯でついた“力”は一体なんのためになるのであろうか。何事もそうであるが、学びたい、上手くなりたいなどの向上心を持ち、悩み、苦労しながら取り組み体得したものでなければ、身にならない頭に残らない心に残らない。この授業で田尻先生の授業実践の動画を見たが、あのような環境でスピーチを行った学生たちは決してあの授業を通して学んだことを決して忘れないであろう。ただ英語を話せる、内容や構成の良し悪しなどの、数値では見えないものがそこには間違いなくあった。ただ教科書をなぞるようなスピーチの授業では得られないものがあったのだと思う。私たちが行う評価というものがいかに表面的なものであるのかということを学ぶことができた。現代の評価のあり方を深く鑑みながら、本当に生徒にとって必要な“力”がなんであるのか、という視点を忘れないことが大切であるということを学んだ。
二つ目は「感性」である。この感性を育てることを、未来の生徒だけでなく私自身忘れることのないようこころがけていかなければならないなと感じた。教科書の本文からはなかなか得られることのできない感覚をこれからも大切にしていきたいと思う。コミュニケーションの三次元的理解にもあったように、身体や言語だけでなく心もコミュニケーションの重要なファクターのひとつである。読書や映画などを通じて、言葉にならないような感覚を得る経験は今後必ず必要になるものである。知識や技術はいつでも取得することができるが、心を育てることは容易ではない。学校教育というものが、成績を得る、良い評価を得るためのもの、進学率をあげるという機械的なサイクルに入ってしまっている中、生徒の心、感性を育てるような授業を考えていく必要があると考える。私自身感性を忘れず、生徒にも感性をつけるよう心がけていきたいと思う。
時代とともに英語そのものも変化をし、英語に対する我々日本人のみかたも変化してきた。近年では、小学校で英語教育が始まるなど英語の熱はさらに増していくことが考えられる。そんな中、近年話題のオールイングリッシュの授業を通じて育ったのは、英語は話せるが中身や内容の乏しい生徒であるように感じる。さらにグローバル化がうたわれる中で今後は「役に立つ」英語や「実践的な」英語を教えることが求められる。しかし、学生の立場で考えるとなかなか使用する機会がない以上、「使わない→使わないから役に立たない→役に立たない」から学ばなくてもいいという考えに至っても仕方ないのではないかとも感じる。
今後は、英語を学ぶことそのものの楽しさや面白さ、それを通して得られる感動や心の動きに着目した英語教育を目指していきたいと思う。英語そのものをただ学ぶのではなく、英語学習を通じて得られる、日本語の深い理解や教養的な側面にも目を向け、学んで「ためになったなぁ」と思わせることのできるような英語教育をめざしていきたい。
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